「暴力の時代」の肖像――《Albatros》

■暴力に怯えた80年代のリマ
前回、紹介した小説『リマ風サキュバス』《Súcubo a la limeña》では、親の代がおそらく80年代に地方から首都リマに上京してきて、旧市街地周辺の貧しい地域に生まれた女子大生がヒロインだった。彼女イサベルは四人姉妹の次女で、父親を亡くしながらも、そこそこ趣味の良い服を着ていて、私立大学に通い、住んでいる地域の印象や評判に反して、「中流」の暮らしをしている。しかし、イサベルの母親がことあるごとに嘆くのだが、親の代の暮らしは極めて慎ましかった。高等教育を受けるゆとりなどなく、幼いときから兄弟の世話や家事の手伝いに追われる日々を過ごしていたという。そこで、近年の経済成長の恩恵に預かるイサベル世代(90年前半の生まれ)を見たあとは、彼女の親の世代についての物語を読みたいと思った。

ペルーはよく知られているように、1980年に極左組織センデロ・ルミノソ武装闘争を開始して以来、20年近くに渡って激しいテロリズムに苛まれた。82年には、国軍がテロ集団を掃討するために投入され、センデロの拠点となっていた山間部では村落がセンデロに協力しなければ彼らに襲撃され、協力すれば軍のターゲットにされるという板挟みに合い、多数の犠牲者を出した。首都への人口流入は1940年代(※年代を訂正しました。最初期のバリアーダSan Cosme地区への入植が始まったのは1946年とされています。2013年11月20日記)より始まっていたが、80年代になって多くの人々がテロリズムから逃れるためにリマへ移り住んだという。したがって、「親世代」の物語では、首都への移住(国内移民)とテロリズムが大きなキーワードになってくるだろう。

その後、山間部を押さえたセンデロはさらに勢力を拡大し、首都リマで企業や大使館を攻撃するようになった。86年には首都で非常事態宣言が発令され、センデロによる首都制圧が囁かれるほどに脅威は拡大したのだった。90年に大統領に就任したフジモリは、非常国家体制の下、軍部に自由を与えて、テロ制圧を強力に推進し、92年9月にはセンデロ首謀者アビマエル・グスマンを逮捕し、徐々にテロリズムを鎮火させていった。加えて、経済的な破綻状態を立ち直らせるなど、フジモリ政権は輝かしい成果を挙げているが、一方で汚職や人権侵害、特殊部隊の行った一般人の虐殺という負の側面も持っている。

■小説『アルバトロス』の手柄と難点
さて、こうした教科書的な理解に感覚とイメージを与えてくれるのが小説だ。ホセ・ルイス・トレス・ヴィトラスの『アルバトロス』(José Luis Torres Vitolas 《Albatros》: Lengua de trapo,2013)は、おそらく1970年代前半に生まれ、80年代前半にクスコの同郷から上京してきた三人の幼なじみを主な登場人物としている。ハシントは国家情報局の特殊部隊に加わり、暗殺や遺体処理業務に従事し、マルコはジャーナリストになり、頻発する虐殺事件がテロリストではなく軍によるものであることを告発しようとする。ラウラはマルコと親しかったことが災いして特殊部隊に捕らえられて拷問に掛けられる。この三人の物語の断片的に並べて、当時の暴力的な状況を描いてみせるという趣向である。


2012年度アルフォンス・エル・マグナニム賞(スペイン・バレンシア州と出版社の共催)受賞作であることを謳う帯が付いている

このように紹介すると、ジャーナリスト・マルコが中心的な役割を果たすことが予想されそうだが、著者はそうしたありがちなパターンは避けて、彼はほとんど添え物的な扱いにして、むしろ、特殊部隊構成員のハシントに小説の主柱を担わせている。彼の所属する組織は架空のものだが、その行動は、実在した「コリーナ部隊」が行った一般市民の虐殺と並行して描かれ、ハシントは「コリーナ部隊」ではないが、相当組織の構成員であることがほのめかされている。そうしたやり方で、一般には「加害者」として語られる軍部の末端で働いた人々の悲劇を提示してみせているのが、この小説の最大の手柄である。

ここで少し、小説への不満も書いておく。『アルバトロス』の小説構造はマリオ・バルガス・リョサの『ラ・カテドラルでの対話』(1969)とほぼ同じになっていて、時間・場所・人物の異なる会話や記述がことわりなく並列されており、読者は読みながら、「この会話はいったい誰がどこで何時語り合っているのか?」と絶えず推理することを余儀なくされる。誠に難儀な構成なわけだが、リョサの長大な作品はそうした混沌を通して、オドリア政権時代(1948-56)の腐敗した政治や社会を、権力者たちの間に働く政治力学からメイドや運転手といった下層社会までの全体を絡み合ったままに切り出して見せて、読者の苦労に報いてくれたが、ヴィトラスのほうはそれに比べると、社会階層の幅・時間スケール・空間スケールのいずれもが限定的で、なぜこんな構成を選んだのか説得力がなく、読んでいて苛立たしいだけだ。リョサの作品が「ラ・カテドラル」というバーで二人の登場人物が飲みながら思い出を語り合うという枠組みを持っているの対応して、ヴィトラスの作品は、何人かの登場人物が「アルバトロス」という名の書店で宴会を開きながら思い出を語り合う枠組みを持っている。リョサへのオマージュのつもりなのかもしれないが、読者にとっては余計な趣向でしかない。

ともあれ、『アルバトロス』には、権力者の世界は欠落していて、どういう経緯で軍組織が一般人を虐殺したかは全く問題としない。説明は全くなされない。この小説が光を当てるのは、ペルーが、そうした「汚い仕事」に従事する人材には事欠かないような社会であった(あるいは、今でもそうである)という問題である。

ハシントは、愛情や同情といった人間らしい感情を発達させたり、市民として振る舞うための価値観を学んだりする機会を奪われた人間である。おそらく、リマ周辺部のスラムには彼のような生い立ちをもつ人々が数多くいたのだ。あるいは、今もなお再生産され続けているのだ。

■ある秘密工作員の物語

ハシントの物語を整理して少し紹介してみよう(なので、これから小説を読むつもりの方には、この先はネタバレになる。実は、申し訳ないが、ハシントという名前を出してこれまでの部分を書いてしまった時点で既に一部ネタバレなってしまっている)。ハシントはクスコの出身で、1970年代前半の生まれと思われる。1980年代前半に、小学五年生頃の年齢で、両親とともに村からこっそり逃げるようにして、リマ北部のコマス区(Comas)へ移住する。コマスには父方の祖母が住んでいて、ビリヤード場を経営していた。2階にあるビリヤード場の下で寝泊まりする生活が始まるが、暴力を振るう父に耐えられず、母はハシントを見捨てて、ある日、出ていってしまう。父の暴力の対象は息子に移ったが、やがて父も不在がちになる。祖母エウフェミアは、唇の一部を失うなど、激しい暴力の痕跡を顔に持つ恐ろしい顔の持ち主で、孫に愛情を示さないし、ハシントも彼女が怖くて寄りつけない。
父が不在がちになった頃の下りを少し和訳して引用してみよう。当時のコマスの様子も窺える。

そんな、孤児の境遇になった日には、くすんだ壁と黒い鉄格子の家を出て、外をぶらぶらと歩いて、トゥパクアマル大通りまで散歩するのが好きだった。自動車部品を売る店の並びを眺めた。新聞を売るキオスクでは見だしを読む人々が立ち止まっていた。茶色い山々が巨大な大便のように灰色の空に向かってそびえていた。そこに立ち止まって、バス停で待つ人々と一緒にバスが出発するのを眺めるのが好きだった。バスは、立ったまま乗っている人々で満員で、体を半分外にはみ出させている乗客たちも居た。バスが黒いカーブを曲がりながら小さくなっていき、ついには地平線にたれ込める灰色の雲の中へと消えていくまで、ずっと眺めていた。あの向こうの遠くで、トゥパクアマル大通りがリマへ、つまりママにつながっているのだと知っていた。マルコやラウラちゃんのいるところへはつながっていないが、ママのところへはつながっている。いつの日か、あのバスの一つに乗り込んで、あの暗い雲を通り抜けて、ママに会うのだと想像しては楽しんだ。けれどもそんな空想は彼の心から逃れていってしまうのだった。絶え間ない車の往来に押し流され、人々の叫び声や音楽――実にいろいろな種類の音と音量の音楽――の喧噪によってすべてを飲み込まれ、そして、大通りの未舗装の路肩に投げ捨てられてしまうかのようだった。それだから結局は、家に戻るために通りを離れるのだった。市場に沿って回り道をする。そこでは果物や肉や野菜の売り場が小さな日よけの板とビニールの天井で仕切られ、互いに支え合って立っていた。肉屋のそばのゴミ箱と血の混じった泥の水たまりが野良犬を惹きつけていた。灰色の単調な風景のなかでハシントの憂鬱な孤独感が膨らんでいき、祖母の家まで一目散に帰りたい気持ちが彼を駆り立てた。(p.121-2)


この時点では、幼なじみのマルコとラウラはまだ上京していない。ラウラもまた伯母を頼って上京してくるが、ハシントよりは少し遅い(1984年かそれより少し前)。改行がないのは原文がそうなっているからである。ハシントの回想は各章(全六章)のいつも四番目の節に現れて、「彼はもうよく思い出せない」といった文から始まって、他の物語が割り込むことはない。行替えは一切なく、全体がたったひとつの段落として提示される。
次は、父がほぼ消えてしまい、祖母エウフェミアと二人の生活が始まった頃の回想である。

さて、ハシントがビリヤード場で過ごすようになった最初の頃、雑巾を手に、黒々とした水の入ったバケツを足下に置いて立っていたあの日々のことを思い出すのに夢中になり始めたとき、最もよく思い出されるのが、ケンカに初めて居合わせたときのことだ。ケンカはこんなふうに始まるのか、と見るが早いか、突然、一人の若者が割れたビンを手にもう一人に飛びかかった。圧倒されかかった方は、すばやく身をかわした。微かなうなりが聞こえた。そして、割れたビンを持った男のほうが床に崩れ落ちた。腹を切られていた。大騒ぎが始まった。罵声が飛び交い、ビンがテーブルにぶつかって割れ、酒が床にこぼれた。すると、階段のほうから何かがぶつかる音が、ゆっくりとした間隔で規則正しく響いてきた。ほとんど聞こえなかったが、それでも少しずつ大きくなっていった。皆を沈黙させる冷たい静けさのように。「番人が来たぞ!」 一人が叫んだ。ハシントは、あのステッキが階段の段差に支えられながら、時計の音のように、一回ごとに大きくなって響いているのだとわかった……そしてついに祖母の小さな姿が戸口に現れ、ちぎれた唇をきつく締め、連中を見回した。全員、静かになった。一人が、エウフェミアさん、済みません、何でもないんです、許してください。ただ、このマヌケが払おうとしないんで。彼女はゆっくりと進んだ。皆が道を開けた。男らしくねえな、床に転がっている男に向かってそう呟いた。そして、その場の連中が男を引きずり出して、外に放り出した。二度とあいつを中に入れるなよ、と祖母はハシントに言った。それ以来、彼はビリヤード場の戸口の番を担当することになったのだった。その年は学校へはまったく行かなかった。翌年の小学校最後の学年は、夜間の部に通った。急いで階段を降りて、勘定を手帳に書き留めて、それを祖母に渡し、外灯の灯る頃に家を出た。カバンは持たず、荷物はビニール袋一つだった。その中に教科書とノート、ボールペン二本が入っていた。盗られるなよ、と登校する最初の日に祖母は彼に忠告した。けれどもやられてしまった。全部盗られた。祖母は彼に寝室へ行くように命じた。何も言わなかった。初めて彼がここへやってきた日に彼を見た、あの嫌悪するような目つきで見るだけだった。否、彼はその視線にそれ以上のものを感じた。心を痛ませるなにかだ。しばらく経ってから、初めて自己嫌悪に陥った。不名誉にも、自分が彼女の恥の原因となっていることが祖母のその目から理解できて、何も言えず、ただただ悲しかった。祖母が小さな手で乱暴にステッキを振り上げては打ち下ろす間、彼女のちぎれた唇が震えていた。彼を殴って、痛めつけたが、負傷させないようにうまくやるすべを心得ていた。その一方で、殴られるたびに、ひどく凶暴な打撃ではあったが、ハシントのなかで恥ずかしさと激しい怒りの感覚がより鮮明になっていった。それは祖母自身が感じている感覚に違いなかった。それから二週間はビリヤード場にも学校にも行かなかった。(p.151-2)


ペルーの小学校は6年生までで、公立学校は授業料は無料で、午前・午後・夜間の三部制になっている。夜間部は18時から21時まで。教科書やノートなどは個人負担で購入しなくてはならない。引用部分の後、ハシントは再び学校に通うようになり、自分から奪った生徒を一人ずつ通りで襲っては、奪い返していく。学校は事実上、学業の場などではなく、暴力による人間関係の築き方を学ぶ場である。その後、ハシントは校長の飼い犬を血祭りに上げることで、勉強しなくても教師たちから良い点がもらえるようになる。
彼にナイフの使い方を教えたのは祖母だ。祖母は彼が尊敬し、生き方を学んだ唯一の存在なのだが、そんな祖母の臨終間もない場面を次に紹介しよう。途中で回想が永久の別れの場面から、いきなりさらに過去へ飛んでいる点に注意したい。

彼の父が近寄ったが、祖母は唇を固く閉じて、指で追い払う仕種をした。ハシントだけを受け入れた。いつものステッキを取るように彼の手を握りしめた。震えが祖母の体を走り抜けたが、彼女は手を離さなかった。ハシントの傷だらけの腕を見て、微笑んだ。幾歳月を経た末にやっとみせた笑顔だった。彼も彼女に同じ仕種で、力を込めて応えた。なぜなら、彼女が自信なさげな、中途半端は嫌いだと知っていたから。祖母は彼にナイフの使い方を練習させるために、コマス区の屠殺場に彼を連れて行ってくれたのだった。また、ケンカで優位に立つ能力を本当に身につけるまで、何度でもビリヤード場でケンカをさせた。負けたときは、ステッキでの折檻が待っていたが、罰は従順に受け入れた。なぜなら、祖母は殴ることで、男らしくないことの恥と激しい怒りを、彼から引き出す巧妙な技を知っていたからだ。父のように男らしさを失ったらおしまいだ。アイツは臆病者。女の腐ったみたいなクズ。一人の女のために泣いたりは絶対しない。母のためにだって、ハシントはそう言った。〽あなたにとって私は取るに足らない人、あなたの人生を通りすがるだけの人……どこで置き去りにされてもいい。もう私のことを何とも思っていないなら…… ママも消えた。マルコもラウラちゃんも、そしてクスコも。麻薬を使うときだけ、彼はそれらを思い出した。けれども、もうかつてとは同じではなかった。はっきりと違う。諸々のことや、混乱した感覚、入り組んだ印象、嬉しい気分が渾然一体となっていた。悲しい楽しみの渦巻きだ。(p.178-9)


挟み込まれている歌詞は、ハシントがリマに連れてこられるとき、母が歌って聞かせたワイノ(アンデスの民謡)で、彼のテーマ曲のように繰り返し、彼の頭に甦ってくる。とても悲しい歌である(Youtubeで聴くことができる)。彼は祖母の言葉に従って、彼女の死後、陸軍に入隊する。彼がコリーナ部隊のような組織にうってつけの人間に育ってしまったことは、これまでの引用から容易に想像できるだろう。

終盤、寒々しい彼の人生に、著者はひとつのメロドラマを用意する。組織が拷問して死体同然となった人間を海辺へ棄てに行くことが彼の業務の一つになっている。ある日、彼は、自分の捨てようとしている人間が、彼が思い続けていた幼なじみのラウラであることに気づくのだ。彼はコマスの古巣に瀕死の彼女を連れて行き、介抱する。彼女は一命を取り留めるが、拷問時の暴行によって妊娠していることに気づく。彼女は意図的に流産しようとするがうまく行かず、月日が経って妊娠八カ月が過ぎてしまい、追いつめられた彼女は腹を刺して自殺を試みる。倒れている彼女を発見したハシントは急いで病院に運びこんだところ、ラウラは手遅れだったが、赤ん坊だけは助かる。小説の最後に描かれるのは、赤ん坊を抱きながら、例のワイノを歌って聴かせるハシントの姿だ。このシーンが暴力に生きる人間の、むしろ再生産を暗示していることは実にやりきれない。