2009-01-01から1年間の記事一覧

リミニ・プロトコル 『Cargo Tokyo-Yokohama』のヌルさをどう考えるか

『Cargo Tokyo-Yokohama』の楽日(21日)に参加してきた。 天候にとても恵まれ、湾岸線を走りながら眺めるクレーンの立ち並ぶ港湾の風景や、ベイブリッジから眺めた夕日を大いに楽しんだ。ラジオパーソナリティの語りのように耳に届く、二人のトラックドライバ…

岡崎藝術座『ヘアカットさん』〜”カラオケで自己表現”も演劇だ

冒頭の坊薗初菜の熱唱に引き込まれた。 彼女は目黒という役でまず、1人で登場。ここは新宿駅南口の紀伊國屋書店の売り場であると告げて、客席に手拍子を求めて、目黒の心境を内容とする歌を歌う。せっぱ詰まったような迫力ある歌いっぷりに心動かされた。歌…

鈴木ユキオ『言葉の縁』を観て

以下は、7月下旬にシアタートラムで上演された鈴木ユキオの『言葉の縁』を見て、「ああそういうことなのかな」と自分なりにちょっと納得したことを少し整理してみた覚書。劇評ではない。実は、鈴木ユキオのどこがいいのか、自分にはよく分からなかった(だ…

戦術の素朴さとパフォーマンスの力――ヤン・ファーブル『寛容のオルギア』

先月末、さいたま芸術劇場大ホールで見たヤン・ファーブル(Troubleyn/Jan Fabre)『寛容のオルギア』について。 消費社会を批判する劇場パフォーマンス=消費対象、スペクタクルを批判するスペクタルという矛盾を放置しているように見えた。戦術が素朴すぎ…

女子高生が女子高生役を演じるということ

先月末に観た平田オリザ作・飴屋法水演出『転校生』(東京芸術劇場中劇場)は、前回のエントリーで触れた問題と非常に関連性の高い舞台だ。評判も非常に高いようだ。でも、わたしは不満だ。女子高生たちの日常的な会話劇を、アマチュアの実際の女子高生(あ…

『カール・マルクス:資本論、第一巻』のパフォーマーたちの輝き

今月初め、リミニ・プロトコルというグループの創る舞台を初めて観た。にしすがも創造舎で『カール・マルクス:資本論、第一巻』(東京版)を観て最も印象的だったのは、舞台に立つパフォーマーたちの輝きに満ちた顔だ。彼らは今、この舞台に立っていることを…