80年代後半のリマの精神状態を記憶する試み――小説《El cerco de Lima》

悪名高い対テロ軍組織のメンバーの個人的な来歴に光を当てた小説《Albatros》を読んだ後、私はもっと中立的なポジションから、ペルーの「汚い戦争」について読んでみたいと思った。

タイミング良く、今年2013年にアンカシュ県出身のベテラン作家オスカル・コルチャード・ルシオ(Óscar Colchado Lucio)がまさにそうした小説『リマの包囲』(《El cerco de Lima》:Grupo Editorial Mesa Redonda, 2013)を出版していたので、読んでみた。

■テロリストと警察たちの麻痺した「日常」
この小説は、80年代後半のリマを舞台にした、次の3つの系列の断章群で編み上げられている。(1)首都を制圧しようとする極左テロ組織センデロ・ルミノソの下で活動する若者アルシデスの物語、(2)彼らの作戦を阻止しようとする警察テロ対策局(DIRCOTE)の職員ニトの一人称語り、(3)貧民地区エル・セロ・エル・ピノに住む、終末思想に囚われた奇妙な予言者の説教や回想。

特徴的なことは、テロリスト側とDIRCOTE側の双方に主人公を持ち、後者を一人称で書き、前者は三人称、および手記の採録(したがって一人称)の組み合わせという形式を採用していることだ。

当時のセンデロ・ルミノソの活動を正当化できないことは自明の理であるから、登場人物に応じて叙述形式をこのように対応させることは読者にとって、常識的なものだと言えるだろう。では、DIRCOTE側に感情移入できるように書かれているかというと、そうではない。

「私」はほとんど大儀や正義を語らないし、むしろ、たまたまDIRCOTEに配属されているから、テロリストを追いかけているのであり、それを勤務上の課題以上のこととは捉えていないように思われる。「私」自身が直接、拷問や虐殺に関与することはないが、捕まえた容疑者を拷問することを当然のように語り、さらには、やがてはバリオス・アルトス事件(参照、この事件は警察ではなく軍のコリーナ部隊の引き起こした)に発展するのではと思われる仲間の言動が引用されたりする。一方で、「私」は作戦行動を共にする女性の同僚をいかにくどぎ落とすか、ということに夢中になっていたりする。つまり、この小説が焦点を当てているのは、テロとの戦い、あるいは「汚い戦争」そのものではなく、暴力的な世界を生きる現場の警官たちの「麻痺した」日常であると言えそうだ。そうした様子が窺えるほんの一部を翻訳して紹介しよう。

 翌日、部隊に出勤すると、”ラ・フラカ”ミレヤと”エル・チャト”が私に会いに来て、指揮官が出かけようとしていて、その前にグループでミーティングをしたいと言っているので、私を待っていた、と告げる。
 オフィスに行くと、指揮官は我々に告げた。諸君、私が伝えたいことは、ワイカン[訳注:アテ区の山間部にある新興入植地域]のテロリスト、ニセフォロ・フローレス[訳注:少し前にセンデロの武器輸送に関与した疑いで捕獲されDIRCOTEへ連れて行かれた人物]とかいう奴が白状したということだ。リマ包囲祭りのうちの東部、アテ・ビタルテ区[訳注:現在のアテ区]と中央幹線道路のことだが、に関して指揮している人物は、同志アルベルトとかいう奴だという。この人物に対して、人員配置と調整が必要だ。ワイカンへ行って、クララと接触を始めろ。何か奴の手掛かりをつかんでないか調べるんだ。で、”狐”[訳注:「私」たちが前から監視しているワイカンにいる容疑者]については? 指揮官、と私は尋ねた。ワイカンのテロリストは何か言ってましたか? 誰のことだって? ワヤガから来たテロリストのことです。ああ、彼のことは知らないそうだ。彼の写真を見せて、どんなに刀で脅かしても、誰だか分からないと言った。私に尋問させてくれませんか、指揮官? ”エル・チャト”が激昂して言った。いまは失神しているから、奴から何も引き出せっこない、と我々のボスは答えた。それから、たぶん、後でな、と言って去っていった。
 金曜日だったし、もう我々はテロリスト狩りにうんざりしていた。なので、私は”エル・チャト”とミレヤにこう言った。諸君、イカした店へセビチェでも食べに行こうぜ。ブラボー! 私たちは盛り上がった。なので、清潔な魚でセビチェを作る有名な店へと、リンセ区を目指すため、タクシーを拾いに出かけた。彼らを誘った後、ビールだ、と私は考えた。そうだ、”ラ・フラカ”と一緒に飲むというのが私の計画なのだ。好きだった。彼女に目を付けている連中が先んじる前に彼女と心を開いて語り合いたかった。けれども、そのときクララが部隊に到着して、すべては泡と消えた。彼女は心配あるいは怯えた顔で、ワイカンの細胞組織の一員、ナティアという奴に、自分が警察であることを見抜かれた、と我々に言った。彼女は指揮官に、細胞組織の統率者ガヴィオタを、ナティアに知らされて逃げてしまう前に捕獲する作戦行動の許可を求めに来たのだった。(p.45-6)

さて、センデロ側の主人公、アルシデスは、母と二人で首都にやってきたチンボテ出身の青年で、貧民地区に住み、卸売市場ラ・パラーダで野菜や果物を売って生計を立てている。大学で勉強して母に楽をさせてやりたいというのが彼の願いだった。彼に大学受験のための勉強の機会を与えてくれたのが、サンマルコス大学の学生たちで、彼らが貧民地区で無料で開く民衆学校に通った。ところがそこは、同時に若者たちにゴンサロ思想(ゴンサロとは、センデロ・ルミノソのリーダー、アビマエル・グスマンのあだ名)を植え付け、テロリストに仕立て上げる場でもあった。彼はそこで感化されてセンデロ・ルミノソの活動員となった。

ここで、センデロに取り込まれたばかりの頃のアルシデスのことを書いた下りを抄訳してみよう。

(民衆学校で教えるサンマルコス大学の学生たちは、やってくる若者たちに対して、読めと勧めた本に出てくる)英雄たちのように生きること、貴重なお手本を収集するようにと教え込んだ。そして、”会費”を払う覚悟をしておくように、とも。それは、自分自身の命を捧げる用意のことだ、仲間よ。そして、予防措置としての根絶だ。いかなる血の海にも直面する覚悟ができているようにと教え込んだ。定期的に彼らは評価される。順番に警備を行う。とりわけ夜は、宿泊している家に近づいてくる車がないか、見張る。しばしば、ペンキを塗り[訳注:センデロはゲリラ的にスローガンを壁などに書いて回っていた]に行ったり、ビラを配りに出かけたりする。ある日、彼らは他の細胞組織と合同での集会に参加する。そこで、首都支部長がカーテンの向こうから語りかけるのを聞く:まだ君たちは私を知るわけにはいかないのだ、仲間たちよ。戦闘の轟音のなかで己の首尾一貫性を証明するまでは。弁は熱を帯びる:時は来た。人民が武装蜂起する時だ。その後で、リマの山や空き地での訓練。激しいトレーニング、戦いのシミュレーション、武器の扱い、爆発物のマスター。ずいぶん遅かったのね、息子よ。痩せたわね、あんまり食べてないんでしょ、わかるわよ。なんで大学へ入学しなかったの? もう、入学できるはずよ。希望を捨ててはだめ。彼は母親の言うことを聞く耳を持たない。初めて爆発物を人々の前で扱ったときのことを思い出していたのだ。アテ区[訳注:リマ東部の中央幹線道路沿いの地区]のデモ――区のさまざまな問題について区長に関心を払って貰うように求めるデモ――に入り込むよう指令を受けた。そこで、ダイナマイトの筒を投げなくてはならなかった。
 午前八時、人々は区役所の門の前に集まっていた。近隣の者たちや通りがかる者たちの注意を引くために、彼らは大声で叫び、手を叩いていた。
 アルシデスがダイナマイトの筒を投げるべき時であった。
 極度に緊張しながら、上着からそれを取り出し、マッチも取り出した。決心して、マッチをちぎり、導火線に火をつけると、それはゆっくりと短くなり始めた。だから、怖くなってしまった。投げるべきかどうか迷った。震えが来て、冷や汗が出た。誰かが彼のやっていることに気づいて、叫んだ。「ダイナマイト! ダイナマイト!」
 不意を突かれた人々は四方八方にちりぢりに走り出した。そこで、すぐに爆破装置を投げたが、狙ったように区役所の門にではなく、その数メートル手前に落ちた。爆発は窓という窓のガラスを落とした。
 その後で、自分が通りに一人でいることに気づいた。逃げたかったが、できなかった。足が地面に釘付けになっている感じがした。一歩も踏み出せなかった。
 ほんのひととき、自身と闘った後、ようやく動くことができた。できる限りの力を振り絞って走り始めたのは警察が到着する前だった。(p.40)

街頭で爆弾を投げる使命を果たしたときの怯えこそ描写されているものの、その行為自体についてアルシデスがどう考えていたのかは一切書かれていない。この作品では出来事に関する描写が多く、登場人物の思考についての記述は少ない。センデロ・DIRCOTE双方の世界で生きる彼らの思考に関する記述はほぼ欠落している。だから、一人の貧しいけれどまじめな若者がどのようにして、冷血なテロ行為にコミットする人間に変貌することができたのか、そこに迷いはないのか、といった疑問に対して、この小説は一切ヒントを与えない(革命を起こさなければ、貧困から脱出できないといった主張は出てくるが、テロに身を投じる説明としては不十分すぎる)。ただ、殺伐とした――そこに淡いロマンスが挿入されるとはいえ――彼らの異常な「日常」が描かれるだけなのである。

この小説を通して著者がほのめかしたいことの一つは、テロリストと当局は対極的な存在でありながら、現場で活動する人間の「日常」のレベルにおいては、類似性を帯びていたということだろう。それを顕著に感じる部分は、DIRCOTEの「私」が”ラ・フラカ”を口説き落としていく過程と、並行するように、アルシデスが同志の妹に告白する過程が描かれるところだ。しかしながら、あの時代を「暴力の時代」と呼ぶとき、テロリストの暴力だけでなく、当局側の暴力もそこに含めるのが一般的な言説だ。だから、これは別に目当たらしい視点ではない。現場をリアルに詳細に描いたという点がこの作品の手柄である。

■終末思想を説く予言者
この作品には一切、一般人は登場しない。”国内戦争”の当事者たちの外部として、唯一登場するのが、終末思想に囚われた奇妙な予言者だ。彼については、ただ大文字で「予言者」と書かれるだけで、名前は明かされない。叙述の多くは、彼が行った演説がそのまま引用される形を取っている。したがって、一人称であり、しかも、一般的な小説に見られるような、独り言のように語る一人称ではなく、公衆に向かって語りかける一人称である。内容も空想的で異様なものだから、センデロとDIRCOTEの日常を語る作品のその他の部分とは著しいコントラストをなす。

このコントラストのために、予言者部分と残りの戦闘者部分は反転を繰り返す「図と地」の関係として受け止められる。前者を読んでいるときは後者が「地」のように感じられ、後者を読んでいるときは前者が「地」と思えてくるのだ。

予言者の唱えていることは、現在の読者が読んだら、ばかばかしく思えるようなことだ。予言者を現実逃避する狂人と呼ぶこともできそうだ。しかし、二つの部分を往来しながら読み進めるうちに、果たして、本当に狂っているのはどちらなのか、という疑問が浮上してくる。否、どちらか、ではなく、両方ともが狂気に犯されていたのだ。狂気に狂気を対置させるやり方で、80年代末のペルー社会の精神的荒廃を描こうとしたと解釈できそうだ。

■臨場感とともに再現する刑務所虐殺事件や政治集会
小説は、1989年6月3日に実際に起こった事件を「額縁」として使い、その事件で始まり、エピローグでその時点へ再び戻る。その事件とは、大統領護衛団を輸送中のバスが大統領府に到着する直前にセンデロ・ルミノソによって爆破されたことで、バスは黒こげになり、6人死亡、30人が負傷した。その現場を描いた後で、小説は事件に係わったテロリストや、事前情報を得て見張っていた(にもかかわらず阻止できなかったのだが)DIRCOTEのメンバーが、どのような経緯を経て、その場に居合わせるに至ったかを追っていく形になっている。

権力の足許で起きたこの事件は、おそらく、リマ市民を怯えさせる象徴的な意味をもったであろう。だから、センデロのリマ包囲作戦を巡る攻防に材を採った小説の額縁としては申し分ない。しかし、そこへ至るプロセスを読んでいくと、センデロ側にとっても、DIRCOTE側にとっても、そこにクライマックスはなく、日常の一コマに過ぎない。しかも、エピローグでは、DIRCOTE側の主人公「私」は著者に忘れ去られてしまい、アルシデスが警察に追いつめられて撃たれ、ゴンサロ大統領の幻影を見ながら、死んでいくところで作品は終わっている。一人称で書き起こした小説が、第三者に焦点を当てながら幕を引くためには、「私」が途中で死んでしまうとか、なにか必然性のある理由が提示されてしかるべきではないだろうか。

予言者の最後については、マジックリアリズム的な手法が適用される。抗議すべく大統領府に乗り込んだ予言者は銃で撃たれてしまうのだが、UFOがやってきて、光を当てると彼の傷が癒えるのだ。それを見ていた人々が「奇蹟だ! 奇蹟だ!」と叫んで倒れていた彼を担ぎ出す。彼が日頃、説教を通して語っていたような超越的な力が行使されたというわけで、彼が正しかったことを暗示しているようにも受け取れる。しかし、ここで話が終わってしまうと、これが何を意味しているのか、不明である。まるで、途中で投げ出されてしまったような読後感である。なぜ、著者が2013年になって、このような小説を発表したのか、その意図も見えてこない。結論としては、この小説は成功しているとは言い難い。

そうは言っても、当時の状況や出来事が具体的に描かれているので、読んでよかったとは思う。たとえば、アルシデスは一度、逮捕されて、エル・フロントン刑務所(El Frontón)へ収容される。ところが、刑務所内はあろうことかセンデロ・ルミノソによって統治されているのだ。当局は囚人たちを閉じ込めるだけで、それ以上の管理はできなくなってしまっている。

私はこれを読んで呆れて、関連する本を探してみたが、カルロス・I・デグレゴリほか(太田昌国・三浦清隆訳)『センデロ・ルミノソ ――ペルーの〈輝ける道〉』(現代企画室,1993)には、1988年8月のカント・グランデ(Canto Grande)刑務所の訪問手記が収録されていた。壁にゴンサロ大統領の顔やスローガンを描き、赤旗を振り、皆で武装闘争歌を歌い、塀の中での自治謳歌している様子がレポートされている。まさに、小説と同じであった。

こうした制御不能状態を許していたから、囚人たちが蜂起したとき、当時のガルシア政権は刑務所を軍に攻撃させるよりほかに事態を収束させる手がなかったのだろう。これが、1986年6月に起きた「刑務所虐殺」("la Matanza en los penales del Perú")と呼ばれる事件で、エル・フロントンのほか2カ所の同時蜂起を武力で鎮圧した結果、300人の死者を出した。アルシデスは死体の下に身を隠すことで生き延びる。検察がやってきたときに死体の下から立ち上がるが、社会主義インター世界大会(その月、与党アプラ党をホストにリマで開催された。アプラは元来は社会主義であった)を前に、ガルシア政権は問題化するのを怖れて、生き残った囚人たちを全員釈放する。しかしその後、彼らを抹殺する任務を負った海軍兵と共和主義者が暗躍したと小説家は書く。

ガルシア政権が1987年7月28日に断行した銀行国有化政策に反対して、作家マリオ・バルガス・リョサがサンマルティン広場で集会を開いたときの様子も生々しく描写されている。

 マイクロフォンの一つだけが空いていた。もう一つは白のワイシャツ、黒の三つ揃いに赤いネクタイを締めた男が手にして、演壇の前舞台で盛り上げていた。「自由の歌」の音楽がバックにとても小さな音で流れていた。
 ――まず、私が言います、「フィウー!」っと、爆弾が投下されたみたいに――男は集まった群衆に言う――そうしたら、皆さんは「ウーー!」と唱和してください。それから、一緒に言いましょう。「ペルーーー!」
 彼らは試し始める。最初にある一方の脇に居る人々が、続いて残り全員が。最後は、ただ一つの声となって聞こえる:
 ――ペルーーー!
 不意に、すべてが中断された。シャツを着た太ったザンボ[訳注:黒人とインディオの混血]が慌てて前舞台に上ってきたのだ。ザンボは空いているマイクの前に立ち、ほとんど聞き取れないような割れた声で興奮して発表した。みんな、道を開けてください。天才作家が到着しました。マリオ・バルガス・リョサーーー!
 実際に、右派のリーダー、ある独立系の人々、それにアプラ党の裏切り者たちを引き連れて、小説家がボリーバル・ホテルから、紙吹雪の中、「自由! 自由!」の合唱の中を進み出る。夜の八時、人々は演壇に寄り集まった。ベラウンデ前大統領とキリスト教人民党(Partido Popular Cristiano)党首に脇を固められ、作家は演壇に上った。
 ゴンサロ大統領の大きな顔が映画館の上映室で微笑んでいた。マリア[訳注:アルシデスの恋人。テロリストの兄をフロントンの虐殺で失っている]はどのようにして大きな横断幕を映写スクリーンの上に広げているのかを見て、驚いた。それだけではない。落書き、リーダーへの万歳、党を支持するスローガン。部屋の奥に押し込まれた人々は陶酔して、武装闘争や反政府、反体制スローガンに対して、万歳を唱和していた。
 ――同郷の者たちよ!――強い意志を示しながら、マリオ・バルガス・リョサは手を振る。カヤオとリマの入植地のある幹部、ある独立系の人、そしてあるキリスト教人民党員の挨拶が終わって、すぐのことだ――。政府の人間は、このミーティングはフランスの香水の匂いがするだろう、などと例の気取った調子で言っていた。しかし、ここで香るのは自由と正義、民主主義だ、同胞よ。
 ――でも、ここに警察がくるかも――マリアは大きなうねりを帯びて大きくなるスローガンの唱和に怯えて言った――あたしたちを捕まえに。あるいは皆殺しに。
 ――心配しなくていい――アルシデスは言った――、すべて、しかるべく警備されて、コントロールされてるんだ。
 ――大統領殿!――厳格な表情で拳を握りしめ、バルガス・リョサは続けた――あなたは演説のなかで自分を貧しいと言った。違います。大統領殿。あなたは貧しくなんかありません。あなたはこの国で最も権力のある男です。ある敬意を払って申し上げたい。16人の運転手と20人の執事がいるなら、貧しいわけがありません。あなたにはピザロの家[訳注:大統領官邸のこと]があります。ペルー中の電力、鉄やそれ以外の金属、14の省庁、軍隊、すべての公的機関。それらすべてを持って、あなたはペルーで最も力を持った男なのです。大統領殿!
 ――バカなガルシアは死ね!
 ――ウソツキのデマ野郎は死ね!(p.95-7)

集会に現れたバルガス・リョサの下りの後にいきなりゴンサロの名前が出てきて戸惑われたかも知れないが、サンマルティン広場での集会の進行と並行して、おそらく広場から数ブロック程度しか離れていないと思われる映画館で秘密に開かれたセンデロの集会に参加するアルシデスたちを描写する段落が挿入されているのだ。最後の二行はバルガス・リョサの演説に呼応する民衆たちのヤジである。このように、あたかも歴史小説のように、実在の人物の登場する出来事を時刻にまで言及して具体的に描写している点がひとつの大きな特徴である。その一方で、著者が造形した登場人物たちは、予言者を除いて、自分の思想をほとんど語らないので、著者はこの小説をあるいはリマ市民の記憶のために書いたのではないか、と思わせる。

教育問題を扱うコメディと性の問題を扱うダンス――《Escuela vieja: todo lo que quiso olvidar sobre la educacion peruana》と《PerVIÉRTEME》

■リマに舞台芸術シーズン到来
リマの春(9月−11月)は舞台芸術のシーズン。関連イベントが立て続けに開催される。まず、以前このブログで触れた「ペルーにおける舞台芸術の制作・上演援助」(Ayudas a la Producción y Exhibición de Artes Escénicas en Perú)というコンクールの受賞作品が発表され、コンテストの主催者であるスペイン文化センターのホール(客席150人程度)で上演される。演劇部門とダンス部門の2つがあり、それぞれ2作品、最大4作品が選ばれて、毎週1作品ずつ、それぞれ金・土・日の夜に計3回、上演されていく。入場無料で、センターの前に入場を待つ人の長い列ができる。

続いて「独立系ダンスフェスティバル 100%身体」(Festival de Danza Independiente 100% Cuerpo!:FEDA)というコンテンポラリーダンスを中心としたイベントがあり、約1カ月間に渡り、アリアンス・フランセーズ(フランス文化とフランス語のセンター、Alianza Francesa)の劇場(客席は200人程度)を中心に上演されていく。国内だけでなく、南米・北米、フランスなど海外からの招待ダンサーやグループも参加する。今年は国内7作品の他、フランスとコロンビアからそれぞれひとつのグループが参加する。ワークショップやダンスのマスタークラスも並行して開催される。2007年に始まり、今年で7回目を迎えたイベントで、KomilfóTeatroという演劇グループが、アリアンス・フランセーズとスペイン文化センターなどの後援を受けて主催しており、同グループの主宰であるJaime Lemaがフェスティバルの監督を務める。

上記2つは業界人や一部の舞台芸術愛好者向けという性格を有しているが、より一般向けで大規模なのが、昨年から立ち上げられた「リマ演劇祭」(Festival Artes Escénicas de Lima:FAEL)だ。今年は14の国内作品に加えて、南米・北米・ヨーロッパ・オーストラリアから11の来秘公演がある。期間は3週間ほどだが、リマでは(つまりペルーでは)国立劇場に次ぐ大きな劇場であるリマ市立劇場(約1500席)をメイン会場に、ほか4小劇場と3つの広場を会場で同時並行的に多彩な上演がある。

国内作品は必ずしも新作ばかりではなく、ここ数年の話題作が含まれているのは、この演劇祭がまだ歴史を持たないからでもあろう。海外作品では有名どころでは、今年はヤン・ファーブルの《Preparatio Mortis》(2010) という女性ソロ作品が参加する。

さて、今回の記事では、今年のスペイン文化センターのコンテスト受賞作について書く。演劇部門で受賞したのは、Patricia Biffiの《Escuela vieja: todo lo que quiso olvidar sobre la educacion peruana》とItalo Panfichiの《La Visita》の2作品、ダンス部門では、Christian Olivaresの《Cholo-peruano》と Juan Carlo Castilloの《PerVIAÉRTEME》。これらのうち、2つの舞台を見ることができたので、簡単に紹介する。

■硬直化しているペルーの義務教育を笑い飛ばす《Escuela vieja》
《Escuela vieja: todo lo que quiso olvidar sobre la educacion peruana》(古びた学校:ペルーの教育に関して忘れたいことのすべて)は、 中堅女優Biffi(1980年生まれ)が自身の学校時代の思い出をベースに、出演する俳優たちと集団創作したコメディである。ストーリーは特になく、授業中あるいは授業の合間に題材を取った短いシーン(例外は父母会のシーン)を並置する形で構成されている。いかに授業が退屈であるか、教師から一方的に知識を押しつけられ、自由な思考を許さないものであったか。教師たちは生徒のことを考えていないか――この舞台が指摘したい点はこうしたことに尽きる。

パフォーマーは男女2名ずつ。全員、白いワイシャツ(ブラウス)にチャーコルグレーのズボン(スカート)の制服を着ている。持っている教科書は『Escuela Nueva』(新しい学校)の小学校5年用。舞台に横一列に並んだ机の前に座って、指で宙に四角を描く動作を始める。始めからきちんとした四角を描く生徒、歪んだ形がだんだんに整ってくる生徒、描いているうちにどんどんスピードが加速して、指の軌道も脱線していて、ついには立ち上がってしまう生徒。学校が子どもたちを画一的な型にはめ込む場所であるという基本的なメッセージをまずコンパクトに示したのだろう。

「学校百科事典」と副題の付いた『Escuela Nueva』は、私のスペイン語家庭教師に聞いたところでは、公立私立問わず、全国の小学校中学年以降の生徒が使う教科書で、中身は日本の社会科(歴史・地理・公民、愛国教育を含む)・道徳科(宗教教育を含む)に相当するものらしい。劇のタイトルは、この教科書をもじって付けられたのだろう。

上演では、パフォーマーたちが順番に、教科書の中身とおぼしき長大な文章を、素晴らしい早口で延々と暗唱してみせる下りがあり、客席から笑い声と拍手が湧き起こった。「とにかく、なんでも暗記させられることが多くて、退屈だった」と家庭教師も言っていた。

一人の女生徒が机に向かいながらも、うっとりした表情で顎の下に手を置いていると、後ろの壁に設置されている黒板に白い雲の映像が映る。ロマンティックな音楽。慌てて立ち上がって、「先生、違います。雲のことなんか考えていません!」と賢明に否定する。

授業終了のベルが鳴ると、歓声を上げて、遊び出す。男の子たちは「ジャンケンポン」をして、勝った方が負けた方の手首を二本指で叩く(私たちはこれをシッペと呼んでいた)という日本で自分が子ども時代にやっていたことと全く同じ遊びを始めた(日系移民が持ち込んで広まったのか)。次は、全員(つまり男女2名ずつ)で輪になって、一人が空き瓶を床で回して、瓶の回転が止まった先に居た者とキスをするというルール。女の子の一人はカワイイ子という設定で、男子生徒は頬にするキスをずらして、唇を奪ってしまう。次は人気のない女の子(制服の下になにか着込んで、パンパンに太っているように見せている)が当たり、女の子が唇をとがらせて待っているのに、男の子は気が進まず、なかなか近づかない。そこへベルが鳴って、救われて大喜びする彼。

その太った子の役の女優が心理学者になって現れて、観客を父兄に見立てて、いじめ問題(bullyingという英語がペルーではそのまま使われている)について講演を始める。学校でのbullyingはペルーでもマスコミを賑わせているホットな話題である。自身の著書を売るという本音を露わにしながら、「いじめ問題の本質は”太った女の子”である」という滑稽な説を力説する。金儲けにしか関心のない教育界を皮肉ったコントなのだろうが、センスがよいとは言い難い。しかし、何か特定の話題に対する含意でもあるのか、観客は大笑いしていた。

アンケートなのかテストなのか、取り組んでいる質問に、自分の将来の希望を選択肢の中から選ぶ問いがあり、一人の男子生徒が該当する選択肢が見つからなくて回答できないで困っている。先生に質問してもすげない対応。と、その場が突然テレビの収録スタジオに早変わり。強引な番組司会者が現れて、選択を迫る。それでも生徒が拒み続けていると、色分けされた大きな四つの鍵と、「緑」が面積の大半を占めているルーレットが現れて回されて、有無を言わさずに、選択の結果として「緑の鍵」を押しつけられる。

正味50分程度の上演中、幾度となく客席が湧いた。ペルー人の観客にとって、アルアル感(学校って、そういえばそうだった、そうだった)に満ちた舞台だったのだろう。

最後にスクリーンが降りてきて、「2003年に教育法が改正されて10年を経たのに」、「識字率は○○%で目標値に達成していない、学校で虐待を経験した生徒は○人に一人」といったデータとともに改善されない現状を示して、幕となった。

このまとめ方は唐突すぎるし、安易すぎる。問題が改善されない理由についての分析や、問題の核心を突く考察が示されていれば、社会に対する働きかけとなりうるだろうが、観客が経験してよく知っている現状をネタに笑いを取っているだけではメッセージとして弱すぎる。

謙虚にも、演出のBiffiはプログラムに書いている。「このプロジェクトは私たちの教育、すなわち学校の壁の中の11年の生活について、立ち止まって思い出す一時である」と。「思い出す」に留まり、「考える」とは書いていないのである。当日配られたプログラムは手作りの雑誌のようになっていて、そこにはBiffiを始め、数人の彼女の仲間がマンガでそれぞれの学校時代の思い出を綴っているのだが、その仲間たちは教師をしているという。それならもっと、現場から問題点を指摘する告発が盛り込まれていてもよさそうなものである。

■セックスをテーマに観客を揺さぶる《PerVIÉRTEME》
ダンス部門からは、《PerVIÉRTEME》を見ることができた。ただし、スペイン文化センターではなく、アリアンス・フランセーズの劇場で見た。この作品は「独立系ダンスフェスティバル 100%身体」にも参加していて、そちらでも公演が行われていたのだ(こちらの公演は無料ではなく30ソーレス=1200円くらいのチケットを買う必要がある)。

振付家Juan Carlo Castillo自身が3人の若い女性ダンサーとともに行ったパフォーマンスで、テーマはずばり「性」である。タイトルは「私を堕落させてくれ」という意味だが、「er」のみ小文字に表記することで、「per」という接頭辞の後に「Viérterme」という言葉が埋め込まれていることが示唆されている。こちらは「私を(何かに)注いでくれ」というような意味合いになり、よくはわからないが、「堕落させる」(pervertir)という単語を使ったタイトルに、ネガティブではない側面も含意させたい意図があるのかもしれない。

扇情的なアップテンポのロックミュージックとともに、舞台の背後にフラッシュバックのように性的な写真(ポルノチックな)が投影されていくところから上演は始まる。黒いビキニスタイルの女性とややフォーマルにシャツを着込んだ覆面男性のデュオが登場し、女性が男性をサディステックに扱うダンスを始める。舞台中央で、女性が鋭く腕を前に突き出すと、男性の四肢を操る見えない紐が女性の手に握られているかのように、背後で男性が、頭をだらりと垂れたままに、女性の動きに同期して痙攣的に体を動かす。能動的動きと受動的動きのコントラストが鮮烈だ。このデュオを見ただけで、パフォーマーのレベルの高さと洗練度がわかる。

次は下着姿で女性二人が登場し、向かい合って体をぴったりつけて、キスするような仕種をするなど、レスビアンを思わせる。二人が体を引き離すと、二人の間に彼女たちのポニーテールがぴんと張り、互いに結ばれていて1メートルも離れることのできない状態に置かれていることがわかる。二人は物理的に拘束されているのだ。背後に特殊な性的嗜好を意味するらしいキーワードが間欠的に投影されていく。

突如、日本語が聞こえてくることで次のシーンは始まる。「新しいゲームソフトが販売され・・・・」。いち早く購入しようと販売店の前に長蛇の列ができたという日本のニュースだ。能のすり足で整然と再登場する4人のダンサーたち。機械仕掛けの招き猫のようなポーズをする(ペルーで招き猫はポピュラーで、中華料理店などどでよく見かける)。録音された音声(スペイン語)で「日本の新しい技術により、これからはセックスなしで生きることになりました。もはや他人と関係することはありません。皆、一人で生きていくのです・・・」というようなナレーションが流れる。能・機械仕掛けの招き猫・チャンバラ・ロボットのような動きがちりばめられた、日本文化=オタク文化批判のダンスが展開される。

女性ダンサー3人が素肌の透けて見える白いワイシャツを羽織って舞台下手手前に並んで立ち、身をくねらせながらオルガズムに達していくよがり声を発する。しばらくこの演技を続けた後、瞬間的に平常に戻った3人は、客席に座る特定の客の方をあれこれ指さしては、くすくすと笑いながらささやき合う。「ほら見て、あそこの客ったら、めっちゃニヤついてるよ。バカ丸出しね」。実際には聞こえてこないのだが、あたかもそんな感じだ。と、また、唐突に悩ましい叫び声を上げながら、絶頂へ至る演技の続きを始める。今度は客席の方がゲラゲラと笑い出す番だ。

後半になると、観客への干渉はエスカレートする。パフォーマーたちは客席に降りていって、一人の男性の観客を拉致して舞台に連れて行く。頭からすっぽり袋を被せ、こづき回し、ズボンの前のジッパーを降ろす。席に留まっている観客全員が、彼に暴力的な視線を注ぐ共犯者となる。しかし、それ以上は踏み込まず、服を脱がしたりはしない。この男性は一般客ではなく、仕込んであった関係者ではないかと想像されるのだが、微妙な匙加減で、確信することができない(なので、怖い)。次は、Juan Carlo自身がマイクを片手に客席に入っていって、観客一人一人の性的嗜好について質問していく。ヘテロかホモか、バイセクシャルかモノセクシャルか、クィアかスクエアか。道具を使うか。マスターベーションするか。そのとき、写真は見るか。などなど。

この日の客の入りは100人程度であったが、Juan Carloは各通路をくまなく周り、手の届く限りの客、数十人に質問し続けた。かなりしつこくやった。もし日本でやったら、押し黙ってしまう客も多いのではないかと思うが、質問された人はわりとちゃんと受け答えしていて、そのたびに客席から笑い声が起きた。この辺はラテンのお国柄だな、と感じた。

パフォーマーの熟練度、演出のエンターテインメント性、テーマ選択の良さ、などこのダンスの美点は劇作品《Escuela vieja》に共通しているが、同時に、テーマへの迫り方が足りないという欠点も共通している。「性に関しては、何がノーマルか、アブノーマルか明確ではなく、やっかいな問題がいろいろあるが、人間にとっては不可欠・不可避なものである」という、観客誰にとっても既知の事実が並列的に展示されているだけであるように見えたからだ。

11月9日から始まるリマ演劇祭についても。上演を観る機会があったら、またブログで紹介したい。

若者たちの捉える「暴力の時代」――アルゼンチン・チリ・ペルーでドキュメンタリー演劇の連鎖

アルゼンチン、チリ、ペルー。この3つの南米国の演劇シーンで、あるドキュメンタリー演劇の連鎖反応が起きている。
3国は――この3国だけではないが――国民の人権が著しく侵害された独裁的な政権の時代を、十数年から二十数年ほど前に経験している点で共通している。アルゼンチンはビデラ将軍の軍事政権時代(1976-1983)、チリはピノチェト軍事政権時代(1973-1989)、そしてペルーでは民主的な選挙によって成立したものの、強権を発動し軍部に超法規的行動を許したフジモリ大統領(1990-2000)が、「独裁者」と見なされている。それぞれの国のこうした暗い時代の記憶に対して、若い世代がドキュメンタリー演劇の手法でアプローチすることが連鎖的に試みられたのだ。

ことの始まりは2009年で、この年、アルゼンチンのマルチアーティスト、ロラ・アリアス(Lola Arias)が《その後の私の人生》(Mi vida después)(サンプル動画)という演劇作品を発表した。70年代から80年代初頭にかけて生まれた6人のパフォーマーたちが舞台の上で、自分たちの両親の写真やハガキなどの記録を素材にして、自分たちの生まれた頃がアルゼンチン人にとってどんな年であったかを、舞台の上で演技もしつつ、証言するという趣向になっている。アリアスの生年1976年が、まさにビデラ将軍ら軍部がクーデターを起こした年であり、彼女の同世代のパフォーマーたちの証言は、おのずと権力の暴力がテーマとなる。パフォーマーたちには、政府が掃討しようとした共産ゲリラ人民革命軍(ERP)活動家の娘、当時の諜報部員の娘、神学生だった父を持つ息子、ジャーリストの息子などがいて、それぞれの立場で自分の幼年時代に思いを馳せた。

この作品は2011年に、チリの「サンチアゴ・ア・ミル国際演劇祭」で上演され、同時にサンチアゴでアリアスによるワークショップが行われた。そのワークショップの成果が、《その後の私の人生》のチリ版である舞台作品《私の生まれた年》(El año en que nací)(サンプル動画)となって、翌年1月の同演劇祭で上演された。チリ版では、人民統一行動運動(MAPU)活動家の娘、アジェンダ大統領(1970-1973)(ピノチェトのクーデター軍に襲撃される中で自殺)のボディーガードの息子、暗殺された左翼革命運動(MIR)活動家の娘などが舞台に立った。

この舞台を見ていた26歳のペルー人の青年、セバスチャン・ルビオ(Sebastián Rubio、ペルーの有名な演劇グループ「文化集団ユヤチカニ」の創設メンバー、ミゲル・ルビオとテレサ・ラジの息子)はペルー版を作ろうと考え、クラウディア・タンゴア(Claudia Tangoa)(27歳)にアイデアを話した上で、一緒に同世代の中からパフォーマーになりうる人を探し始める。彼らが選んだメンバーは、テロリスト掃討に関与した軍人の息子レトル、軍の特殊部隊コリーナ部隊に暗殺された犠牲者(ラ・カントゥタ事件:テロリストと誤認された学生や教授、計10人が拷問の末、殺害された)の従姉妹カロリーナ、モンテシノス(フジモリ政権時代、国家情報局顧問として工作活動を指揮した人物)の贈賄現場を撮影したビデオの流出に一役買い、彼を窮地に追い込んだ彼の個人秘書の息子マノロ、その流出ビデオに写っていたために収賄が発覚して逮捕された当時の国会議員の息子セバスチャン、そしてテレビディレクターの娘アマンダの5人だ。

彼らの行動は極めて早かった。1ヵ月半の集団制作ののち、毎年、在ペルー・スペイン大使館が主催する「ペルーにおける舞台芸術の制作・上演援助」(Ayudas a la Producción y Exhibición de Artes Escénicas en Perú)というコンクールに応募(受賞作に対して4000ドルが与えられる)。同年9月には、コンクール受賞作品として《プロジェクト1980-2000 相続される時間》(Proyecto 1980 2000, el tiempo que herede)(TV番組での紹介)がリマのスペイン大使館文化センターで初演された(3公演)。そして翌月には、リマ演劇祭(FAEL)に参加して2公演を市立劇場の中庭で上演。これらの上演が話題を呼び、翌2013年6月にカトリカ大学文化センターで4回再演され、さらに、リマ市立美術館パフォーマンス祭(Festival de Artes Performativas del MALI)に招聘されて、9月に8公演を上演した。

《プロジェクト1980-2000 相続される時間》。舞台奥に掲示された年表が唯一の舞台美術

なぜ、高い関心を惹いたのか。キーワードは「和解」だろう。パフォーマーたちの顔ぶれを見れば明らかなように、レトルとカロリーナ、マノロとセバスチャンは親世代で見れば、互いに深刻な対立関係にある。犠牲になった側は相手側を憎悪していても不思議はない。そんな家族間の関係にある若者たちが、仲良く一つの舞台に立ち、一緒に演技をし、歌ったり踊ったりもするのだ。歌や踊りは素人そのものだが、そんなことはここでは全く問題ではない。

メンバーを決めるに当たっては、「私たちと同世代であること、テーマにある程度の距離を持って関係していることが、必要不可欠だった」と演出したルビオはインタビューに応えている。彼らは子ども時代の自分の親(あるいは従姉妹)の記憶を語り、自分たちの親に対する感情を舞台上で吐露するが、同時に自分たちは当事者ではないという意識もしっかりと持っている。だから、出来事を芝居の素材として扱う客観性も備えていて、ユーモラスな仕種が滑らずに生きてくる。そのことが、あの時代を生きた多くのリマ市民にずしりと響く重いテーマであるにもかかわらず、客席をも明るい空気に包むのだ。

私は6月のカトリカ大学での公演を見に行ったのだが、チケットは完売で200席ほどの客席は満員。まるで友達に面白い話を語るようにカジュアルに当時の出来事を語るレトル。彼は芸人になりたいようだ。退屈しのぎのようにギターをつま弾くセバスチャン。どこにでもいる普通の若者たちだ。誰も自分の親の人生に縛られていたりはしない。上演中、客席から幾度も好意的な笑い声が響いていた。唯一、パフォーマーたちが皆で小さな紙箱をよってたかってビリビリに破くシーンが暴力を象徴しているのだろうが、象徴されるものが、テロリズムや独裁者の暴力だとしたら、なんと可愛らしい矮小化だろうか。この上演がリマの人々に提供するのは「解毒作用」であると言えそうだ。

気になる点もある。タイトルに「1980-2000」と掲げられているが、これはペルーがテロと軍部の暴力に苦しんだ時代である。1980年は極左組織センデロ・ルミノソが武力闘争を開始した年であり、2000年は「独裁者」フジモリが日本へ亡命した年である。昨年、「ペルー真実和解委員会」(CVR)のメンバーだった人の講演を聞いたときのことを思い出さずにはいられない。その講演では、センデロの首謀者グスマンとフジモリが人権侵害の2大巨悪として扱われていて、フジモリがテロリストの親玉と同列に扱われていることに少なからずショックを受けたものだった。ルビオのドキュメンタリー演劇でも、似たような解釈に傾いている印象がある。1980年を起点として掲げながらも、俳優の人選がおのずとフジモリ政権の汚職や人権侵害の問題に話題を集中させるようにできているからだ。実際には、テロ掃討を名目とした虐殺はすでに第一次ガルシア政権時代(1985-1990)から発生していたのだから、このような焦点の当て方はアンフェアとも言える。けれど、ガルシアは第二次政権(2006-2011)を終えたばかりの大物政治家、フジモリは事実上終身刑ともいえる状態で服役中の犯罪者という現実がある。作品に参画しうる潜在的な候補者たちの中から、実際に誰が舞台で語る自由を感じているか、という点で、これはそのような現実を反映しているのかも知れない(かんぐり過ぎかも知れないが)。

ルビオ自身はナイーブにも次のように語っている。「断片的に語るにはあまりにも複雑な時代で、あらゆる問題系を扱うことは時間の制約上、不可能なことに気づいた。でも、私たちは歴史家じゃないからね。大事なことは、素晴らしいグループを作ること、そしてそこから生み出されるもので幸福になることだったんだ」。

《プロジェクト1980-2000 相続される時間》は、ペルー演劇の重要なテーマにアプローチする、新しいひとつのやり方を提示して見せた。これを刺激に、この試みを補完するような演劇作品が次々と生まれて欲しいものである。

「暴力の時代」の肖像――《Albatros》

■暴力に怯えた80年代のリマ
前回、紹介した小説『リマ風サキュバス』《Súcubo a la limeña》では、親の代がおそらく80年代に地方から首都リマに上京してきて、旧市街地周辺の貧しい地域に生まれた女子大生がヒロインだった。彼女イサベルは四人姉妹の次女で、父親を亡くしながらも、そこそこ趣味の良い服を着ていて、私立大学に通い、住んでいる地域の印象や評判に反して、「中流」の暮らしをしている。しかし、イサベルの母親がことあるごとに嘆くのだが、親の代の暮らしは極めて慎ましかった。高等教育を受けるゆとりなどなく、幼いときから兄弟の世話や家事の手伝いに追われる日々を過ごしていたという。そこで、近年の経済成長の恩恵に預かるイサベル世代(90年前半の生まれ)を見たあとは、彼女の親の世代についての物語を読みたいと思った。

ペルーはよく知られているように、1980年に極左組織センデロ・ルミノソ武装闘争を開始して以来、20年近くに渡って激しいテロリズムに苛まれた。82年には、国軍がテロ集団を掃討するために投入され、センデロの拠点となっていた山間部では村落がセンデロに協力しなければ彼らに襲撃され、協力すれば軍のターゲットにされるという板挟みに合い、多数の犠牲者を出した。首都への人口流入は1940年代(※年代を訂正しました。最初期のバリアーダSan Cosme地区への入植が始まったのは1946年とされています。2013年11月20日記)より始まっていたが、80年代になって多くの人々がテロリズムから逃れるためにリマへ移り住んだという。したがって、「親世代」の物語では、首都への移住(国内移民)とテロリズムが大きなキーワードになってくるだろう。

その後、山間部を押さえたセンデロはさらに勢力を拡大し、首都リマで企業や大使館を攻撃するようになった。86年には首都で非常事態宣言が発令され、センデロによる首都制圧が囁かれるほどに脅威は拡大したのだった。90年に大統領に就任したフジモリは、非常国家体制の下、軍部に自由を与えて、テロ制圧を強力に推進し、92年9月にはセンデロ首謀者アビマエル・グスマンを逮捕し、徐々にテロリズムを鎮火させていった。加えて、経済的な破綻状態を立ち直らせるなど、フジモリ政権は輝かしい成果を挙げているが、一方で汚職や人権侵害、特殊部隊の行った一般人の虐殺という負の側面も持っている。

■小説『アルバトロス』の手柄と難点
さて、こうした教科書的な理解に感覚とイメージを与えてくれるのが小説だ。ホセ・ルイス・トレス・ヴィトラスの『アルバトロス』(José Luis Torres Vitolas 《Albatros》: Lengua de trapo,2013)は、おそらく1970年代前半に生まれ、80年代前半にクスコの同郷から上京してきた三人の幼なじみを主な登場人物としている。ハシントは国家情報局の特殊部隊に加わり、暗殺や遺体処理業務に従事し、マルコはジャーナリストになり、頻発する虐殺事件がテロリストではなく軍によるものであることを告発しようとする。ラウラはマルコと親しかったことが災いして特殊部隊に捕らえられて拷問に掛けられる。この三人の物語の断片的に並べて、当時の暴力的な状況を描いてみせるという趣向である。


2012年度アルフォンス・エル・マグナニム賞(スペイン・バレンシア州と出版社の共催)受賞作であることを謳う帯が付いている

このように紹介すると、ジャーナリスト・マルコが中心的な役割を果たすことが予想されそうだが、著者はそうしたありがちなパターンは避けて、彼はほとんど添え物的な扱いにして、むしろ、特殊部隊構成員のハシントに小説の主柱を担わせている。彼の所属する組織は架空のものだが、その行動は、実在した「コリーナ部隊」が行った一般市民の虐殺と並行して描かれ、ハシントは「コリーナ部隊」ではないが、相当組織の構成員であることがほのめかされている。そうしたやり方で、一般には「加害者」として語られる軍部の末端で働いた人々の悲劇を提示してみせているのが、この小説の最大の手柄である。

ここで少し、小説への不満も書いておく。『アルバトロス』の小説構造はマリオ・バルガス・リョサの『ラ・カテドラルでの対話』(1969)とほぼ同じになっていて、時間・場所・人物の異なる会話や記述がことわりなく並列されており、読者は読みながら、「この会話はいったい誰がどこで何時語り合っているのか?」と絶えず推理することを余儀なくされる。誠に難儀な構成なわけだが、リョサの長大な作品はそうした混沌を通して、オドリア政権時代(1948-56)の腐敗した政治や社会を、権力者たちの間に働く政治力学からメイドや運転手といった下層社会までの全体を絡み合ったままに切り出して見せて、読者の苦労に報いてくれたが、ヴィトラスのほうはそれに比べると、社会階層の幅・時間スケール・空間スケールのいずれもが限定的で、なぜこんな構成を選んだのか説得力がなく、読んでいて苛立たしいだけだ。リョサの作品が「ラ・カテドラル」というバーで二人の登場人物が飲みながら思い出を語り合うという枠組みを持っているの対応して、ヴィトラスの作品は、何人かの登場人物が「アルバトロス」という名の書店で宴会を開きながら思い出を語り合う枠組みを持っている。リョサへのオマージュのつもりなのかもしれないが、読者にとっては余計な趣向でしかない。

ともあれ、『アルバトロス』には、権力者の世界は欠落していて、どういう経緯で軍組織が一般人を虐殺したかは全く問題としない。説明は全くなされない。この小説が光を当てるのは、ペルーが、そうした「汚い仕事」に従事する人材には事欠かないような社会であった(あるいは、今でもそうである)という問題である。

ハシントは、愛情や同情といった人間らしい感情を発達させたり、市民として振る舞うための価値観を学んだりする機会を奪われた人間である。おそらく、リマ周辺部のスラムには彼のような生い立ちをもつ人々が数多くいたのだ。あるいは、今もなお再生産され続けているのだ。

■ある秘密工作員の物語

ハシントの物語を整理して少し紹介してみよう(なので、これから小説を読むつもりの方には、この先はネタバレになる。実は、申し訳ないが、ハシントという名前を出してこれまでの部分を書いてしまった時点で既に一部ネタバレなってしまっている)。ハシントはクスコの出身で、1970年代前半の生まれと思われる。1980年代前半に、小学五年生頃の年齢で、両親とともに村からこっそり逃げるようにして、リマ北部のコマス区(Comas)へ移住する。コマスには父方の祖母が住んでいて、ビリヤード場を経営していた。2階にあるビリヤード場の下で寝泊まりする生活が始まるが、暴力を振るう父に耐えられず、母はハシントを見捨てて、ある日、出ていってしまう。父の暴力の対象は息子に移ったが、やがて父も不在がちになる。祖母エウフェミアは、唇の一部を失うなど、激しい暴力の痕跡を顔に持つ恐ろしい顔の持ち主で、孫に愛情を示さないし、ハシントも彼女が怖くて寄りつけない。
父が不在がちになった頃の下りを少し和訳して引用してみよう。当時のコマスの様子も窺える。

そんな、孤児の境遇になった日には、くすんだ壁と黒い鉄格子の家を出て、外をぶらぶらと歩いて、トゥパクアマル大通りまで散歩するのが好きだった。自動車部品を売る店の並びを眺めた。新聞を売るキオスクでは見だしを読む人々が立ち止まっていた。茶色い山々が巨大な大便のように灰色の空に向かってそびえていた。そこに立ち止まって、バス停で待つ人々と一緒にバスが出発するのを眺めるのが好きだった。バスは、立ったまま乗っている人々で満員で、体を半分外にはみ出させている乗客たちも居た。バスが黒いカーブを曲がりながら小さくなっていき、ついには地平線にたれ込める灰色の雲の中へと消えていくまで、ずっと眺めていた。あの向こうの遠くで、トゥパクアマル大通りがリマへ、つまりママにつながっているのだと知っていた。マルコやラウラちゃんのいるところへはつながっていないが、ママのところへはつながっている。いつの日か、あのバスの一つに乗り込んで、あの暗い雲を通り抜けて、ママに会うのだと想像しては楽しんだ。けれどもそんな空想は彼の心から逃れていってしまうのだった。絶え間ない車の往来に押し流され、人々の叫び声や音楽――実にいろいろな種類の音と音量の音楽――の喧噪によってすべてを飲み込まれ、そして、大通りの未舗装の路肩に投げ捨てられてしまうかのようだった。それだから結局は、家に戻るために通りを離れるのだった。市場に沿って回り道をする。そこでは果物や肉や野菜の売り場が小さな日よけの板とビニールの天井で仕切られ、互いに支え合って立っていた。肉屋のそばのゴミ箱と血の混じった泥の水たまりが野良犬を惹きつけていた。灰色の単調な風景のなかでハシントの憂鬱な孤独感が膨らんでいき、祖母の家まで一目散に帰りたい気持ちが彼を駆り立てた。(p.121-2)


この時点では、幼なじみのマルコとラウラはまだ上京していない。ラウラもまた伯母を頼って上京してくるが、ハシントよりは少し遅い(1984年かそれより少し前)。改行がないのは原文がそうなっているからである。ハシントの回想は各章(全六章)のいつも四番目の節に現れて、「彼はもうよく思い出せない」といった文から始まって、他の物語が割り込むことはない。行替えは一切なく、全体がたったひとつの段落として提示される。
次は、父がほぼ消えてしまい、祖母エウフェミアと二人の生活が始まった頃の回想である。

さて、ハシントがビリヤード場で過ごすようになった最初の頃、雑巾を手に、黒々とした水の入ったバケツを足下に置いて立っていたあの日々のことを思い出すのに夢中になり始めたとき、最もよく思い出されるのが、ケンカに初めて居合わせたときのことだ。ケンカはこんなふうに始まるのか、と見るが早いか、突然、一人の若者が割れたビンを手にもう一人に飛びかかった。圧倒されかかった方は、すばやく身をかわした。微かなうなりが聞こえた。そして、割れたビンを持った男のほうが床に崩れ落ちた。腹を切られていた。大騒ぎが始まった。罵声が飛び交い、ビンがテーブルにぶつかって割れ、酒が床にこぼれた。すると、階段のほうから何かがぶつかる音が、ゆっくりとした間隔で規則正しく響いてきた。ほとんど聞こえなかったが、それでも少しずつ大きくなっていった。皆を沈黙させる冷たい静けさのように。「番人が来たぞ!」 一人が叫んだ。ハシントは、あのステッキが階段の段差に支えられながら、時計の音のように、一回ごとに大きくなって響いているのだとわかった……そしてついに祖母の小さな姿が戸口に現れ、ちぎれた唇をきつく締め、連中を見回した。全員、静かになった。一人が、エウフェミアさん、済みません、何でもないんです、許してください。ただ、このマヌケが払おうとしないんで。彼女はゆっくりと進んだ。皆が道を開けた。男らしくねえな、床に転がっている男に向かってそう呟いた。そして、その場の連中が男を引きずり出して、外に放り出した。二度とあいつを中に入れるなよ、と祖母はハシントに言った。それ以来、彼はビリヤード場の戸口の番を担当することになったのだった。その年は学校へはまったく行かなかった。翌年の小学校最後の学年は、夜間の部に通った。急いで階段を降りて、勘定を手帳に書き留めて、それを祖母に渡し、外灯の灯る頃に家を出た。カバンは持たず、荷物はビニール袋一つだった。その中に教科書とノート、ボールペン二本が入っていた。盗られるなよ、と登校する最初の日に祖母は彼に忠告した。けれどもやられてしまった。全部盗られた。祖母は彼に寝室へ行くように命じた。何も言わなかった。初めて彼がここへやってきた日に彼を見た、あの嫌悪するような目つきで見るだけだった。否、彼はその視線にそれ以上のものを感じた。心を痛ませるなにかだ。しばらく経ってから、初めて自己嫌悪に陥った。不名誉にも、自分が彼女の恥の原因となっていることが祖母のその目から理解できて、何も言えず、ただただ悲しかった。祖母が小さな手で乱暴にステッキを振り上げては打ち下ろす間、彼女のちぎれた唇が震えていた。彼を殴って、痛めつけたが、負傷させないようにうまくやるすべを心得ていた。その一方で、殴られるたびに、ひどく凶暴な打撃ではあったが、ハシントのなかで恥ずかしさと激しい怒りの感覚がより鮮明になっていった。それは祖母自身が感じている感覚に違いなかった。それから二週間はビリヤード場にも学校にも行かなかった。(p.151-2)


ペルーの小学校は6年生までで、公立学校は授業料は無料で、午前・午後・夜間の三部制になっている。夜間部は18時から21時まで。教科書やノートなどは個人負担で購入しなくてはならない。引用部分の後、ハシントは再び学校に通うようになり、自分から奪った生徒を一人ずつ通りで襲っては、奪い返していく。学校は事実上、学業の場などではなく、暴力による人間関係の築き方を学ぶ場である。その後、ハシントは校長の飼い犬を血祭りに上げることで、勉強しなくても教師たちから良い点がもらえるようになる。
彼にナイフの使い方を教えたのは祖母だ。祖母は彼が尊敬し、生き方を学んだ唯一の存在なのだが、そんな祖母の臨終間もない場面を次に紹介しよう。途中で回想が永久の別れの場面から、いきなりさらに過去へ飛んでいる点に注意したい。

彼の父が近寄ったが、祖母は唇を固く閉じて、指で追い払う仕種をした。ハシントだけを受け入れた。いつものステッキを取るように彼の手を握りしめた。震えが祖母の体を走り抜けたが、彼女は手を離さなかった。ハシントの傷だらけの腕を見て、微笑んだ。幾歳月を経た末にやっとみせた笑顔だった。彼も彼女に同じ仕種で、力を込めて応えた。なぜなら、彼女が自信なさげな、中途半端は嫌いだと知っていたから。祖母は彼にナイフの使い方を練習させるために、コマス区の屠殺場に彼を連れて行ってくれたのだった。また、ケンカで優位に立つ能力を本当に身につけるまで、何度でもビリヤード場でケンカをさせた。負けたときは、ステッキでの折檻が待っていたが、罰は従順に受け入れた。なぜなら、祖母は殴ることで、男らしくないことの恥と激しい怒りを、彼から引き出す巧妙な技を知っていたからだ。父のように男らしさを失ったらおしまいだ。アイツは臆病者。女の腐ったみたいなクズ。一人の女のために泣いたりは絶対しない。母のためにだって、ハシントはそう言った。〽あなたにとって私は取るに足らない人、あなたの人生を通りすがるだけの人……どこで置き去りにされてもいい。もう私のことを何とも思っていないなら…… ママも消えた。マルコもラウラちゃんも、そしてクスコも。麻薬を使うときだけ、彼はそれらを思い出した。けれども、もうかつてとは同じではなかった。はっきりと違う。諸々のことや、混乱した感覚、入り組んだ印象、嬉しい気分が渾然一体となっていた。悲しい楽しみの渦巻きだ。(p.178-9)


挟み込まれている歌詞は、ハシントがリマに連れてこられるとき、母が歌って聞かせたワイノ(アンデスの民謡)で、彼のテーマ曲のように繰り返し、彼の頭に甦ってくる。とても悲しい歌である(Youtubeで聴くことができる)。彼は祖母の言葉に従って、彼女の死後、陸軍に入隊する。彼がコリーナ部隊のような組織にうってつけの人間に育ってしまったことは、これまでの引用から容易に想像できるだろう。

終盤、寒々しい彼の人生に、著者はひとつのメロドラマを用意する。組織が拷問して死体同然となった人間を海辺へ棄てに行くことが彼の業務の一つになっている。ある日、彼は、自分の捨てようとしている人間が、彼が思い続けていた幼なじみのラウラであることに気づくのだ。彼はコマスの古巣に瀕死の彼女を連れて行き、介抱する。彼女は一命を取り留めるが、拷問時の暴行によって妊娠していることに気づく。彼女は意図的に流産しようとするがうまく行かず、月日が経って妊娠八カ月が過ぎてしまい、追いつめられた彼女は腹を刺して自殺を試みる。倒れている彼女を発見したハシントは急いで病院に運びこんだところ、ラウラは手遅れだったが、赤ん坊だけは助かる。小説の最後に描かれるのは、赤ん坊を抱きながら、例のワイノを歌って聴かせるハシントの姿だ。このシーンが暴力に生きる人間の、むしろ再生産を暗示していることは実にやりきれない。

小説《Súcubo a la limeña》の和訳(最初の方)

この小説の面白さをわかってもらいたくて、第1章の最初の節を試みにきっちり訳してみました。
よろしければ、下のリンクからPDFファイルをダウンロードして読んでみてください。感想を聞かせてくだされば嬉しいです。
Sucubo_traduccionJap11.pdf

18歳の若者が切り込むリマの人々の差別意識――《Súcubo a la limeña》

■持続的な経済成長を背景に
ペルーの首都リマに住んでいて感じる、日本の都市との違いといえば、やはりすざまじい経済格差だろう。リマ市の中には、使用人が何人も働く大邸宅の並ぶ地域もあれば、上下水道のない劣悪な環境の地域も目立つ。そして、植民地時代までさかのぼれる富の極端な集中、固定的な社会経済階層と人種との相関性、地域との相関性が、人々の間に差別意識を醸成してきた。公式には差別は悪とされ、差別意識と戦う動きも見られるが、価値観というものは、決心さえすれば変えられるというものではない。大ぴらに差別意識をあらわにすることははばかれるようになっても、人々の胸のうちには残り続けているようだ。

一方で、ペルーは2002年以降毎年(但し世界金融危機の影響を受けた2009年を除く)4〜9%の経済成長を続けており(2013年も同様に成長が見込まれている)、この継続的な経済成長が、かつての貧困層から、収入面では中間層並みになった「新中間層」(emergenteとかpujanteと呼ぶ)を出現させた。彼らを含めて数えるとペルーの人口の7割を中間層が占めるというから驚きだ。「一握りの支配層と大多数の貧者の国」という図はもはや完全に過去のものとなった。

しかし、収入面で「並み」となった人々が、たとえば「日本の中流」のような暮らしをしているかというとそうではない。彼らの住んでいる地域は依然として劣悪な環境にあり、治安もすこぶる悪い。だから、彼らの地域には近寄りがたい私たち(駐在日本人)には、その地域の中で起こっている変化を実感しにくい。

こんな話を聞いた。私のスペイン語家庭教師の本業は翻訳業なのだが、彼女の翻訳仲間にはリマックという地域に住んでいる若い女性たちがいるという。リマック区は旧市街中心部(セントロ地区)に隣接する地域で、最下層の地域ではないが、観光客の歩き回るセントロ地区にも負けない観光資源のある地域でありながら、治安があまりに悪いので、一般観光客は歩かないし、私たちも気軽には足を踏み入れない。そんなリマック区に住みながら、高級オフィス街へ通って翻訳の仕事をしている彼女たちは、高級ブランドのハンドバッグをまとめ買いして、私の家庭教師を驚かせたという。彼女らは翻訳の仕事を請け負えるだけの高等教育を受けているし、購買力もあるのだ。しかし、あえて生まれ育ったリマックから引っ越そうとはしない。

安全な地域へ移り住むと、生活費が大幅に膨らんでしまうから、それよりは住み慣れた地域に住み続けて、もっと他のことにお金を使いたいのだろう、と家庭教師は想像する。家庭教師自身は旧中間層の地域(サンミゲル区)に両親と一緒に住んでおり、「リマックには怖くて行けない」というが、リマックで生まれ育った彼女の仕事仲間は、その地域で生きるための、危険を避ける知識と技術を持っているから、いわば二重生活をこなしていくことができるのだろう(購入したハンドバッグは、自宅付近では汚い不透明のビニール袋に包んで決して人目に触れさせないのだそうだ)。

「新中間層」には購買力もあるが、同時に子どもに良い教育機会を与えることの重要さもわかっている。公立教育の質の向上はペルーの国家的な課題の一つだ。良い教育を受けさせようと思う「新中間層」の親は生活を切りつめて、子どもを私立の学校に通わせている。大学も公立より私立の有名大学のほうがよいし、一番いいのはアメリカやヨーロッパに留学させることだと言われている。「新中間層」からそうしたハイレベルの大学へ入学する事例もでてきているのではないかと想像される。

■「新中間層」の住む町とは
さて、今年になって、富裕層の18歳の若者が、リマの格差社会に残存し続ける差別意識をテーマにした小説を発表し、話題を呼んだ。《Súcubo a la limeña》(『リマ風サキュバス』)(Bizarro ediciones, 2012)という2012年11月(公式発売は2013年6月:マスコミが取りあげたのはこのタイミングだ)に発行された本で、著者Jhonattan K. Díaz Gastelo(ジョナタン・K・ディアス・ガステロ)はその翌月に高校を卒業し、今年、名門私立カトリカ大学に入学したばかりだ。

表紙を飾るのは、演劇や美術でも活躍する著者自身が扮した七つの大罪のイメージだ


小説の中身は「富裕層の息子がリマック区に住む娘に恋をして、結婚しようとしたらどうなるか?」という話で、差別意識をむき出しにする息子の母親と、息子と付き合うことで経済的な恩恵をたっぷりと受けながらも誇り高い態度を維持する娘の応酬が、嫌みな気取った文体で描かれている。

題名のサキュバスは男性と性交して男性から生気を吸い取るという中世ヨーロッパの伝説に出てくる女の魔物のことで、リマ風のサキュバスとは「金持ちの青年を性的に誘惑して、富を吸い取る悪女」のイメージである。

この小説は、普段はなかなかうかがい知れないリマの人たちの意識が表現されているので、大変興味深い。また、なかなか直接は見られないリマック区の人々の暮らしもかいま見ることができる。

面白さを伝えるには、本文を読んで貰った方が早いので、試みにちょっとだけ和訳してみよう。

まず、お金持ちのどら息子である主人公アルベルトが、付き合っているイサベルに告白しようと決心して、自分の車を運転してイサベルの住むリマック地区へ車で向かう下り。アルベルトは上手に告白できる自信がないため、近所の同世代の知人マティアス(通称ベイビイ)を連れて行くことにした。しかし、ベイビイは、リマックがどんなところか、よく知りもしないのだった:

 車が何キロも走ってから、ようやくベイビイは事態に反応した。自分たちがどんなところへ向かっているのかやっと呑み込めたのだ。彼は驚いて周囲の景色に釘付けになった、ビールとチョコレートでちょっとだけ気が散ったとはいえ。むっちりした女性たちが子どもたちの手を引いて、歩道橋を渡る代わりに、我が子を危険に晒しながらベイビの乗る車の前を横切っていくのが見えた。通りには一酸化炭素のもやがたれ込めていた。野蛮なマイクロバスたちがぼんやりと歩く通行人たちに向かって射精していった排気ガスなのだ。バスはこうして、副王領の首都の遺産を台無しにしながら走り回っているのだ。国家主義政党の大きなプラカードが歓迎の文字を掲げていた。マティアスは腕時計を外し、ズボンのポケットにしまった。マドリッドを旅行したときに母に買ってもらったものだ。そして、繰り返し上から触って、そこに腕時計がまだあることを確かめた。まだ、隣人の運転する車の中にいるというのに。(p.21)


■富裕層の差別意識
つきあい始めて半年以上が経ち、そろそろ正式に恋人関係になる告白をしようとアルベルトは考え、イサベルもそれを期待している。告白はペルー人のカップルにとっては非常に重要なステップだ。どんなにデートを重ねても告白がなければ、二人はまだ友人関係(amigos)のままである。この段階で複数の異性と同時に付き合うことに問題はない。告白があり、周囲に二人の関係を公表してはじめて恋人関係(enamorados)になる。

ところが、臆病なアルベルトは、イサベルのほうでデート中に告白の機会を作ったにもかかわらず、「好きだよ」と言った後で、「友達として」と付け加えてしまう。イサベルは猛烈に怒り出す:

 ――ばか! 何もかもクソくらえ! 信じらんない、マジに。信じらんない。あたしがあんたをここに連れてきたんだよ。そんで結局、バカをみるわけ? 今日は午前中いっぱいかけて、あんたのために髪を直毛に変えて、栗毛色に染めた。昨日はこのスカートを買った。どれもこれも、カワイイ服を着たあたしにあんたが告(コク)るっていう素敵な思い出が作れるように。全部完璧だったんだ。全部うまくいった。でも、あっそ! あんたにとってはどーでもいいってことか。バカでエゴイスト、それがあんた。くそったれのエゴイスト。ざけんじゃねえよ。テメエ自身、気づいてんだろ。脳ナシじゃないだから。ただ単に、バカのふりしてたいだけ。マヌケはなんにも気づかない。いったいどうしたっていうの? あんたにキンタマは重荷かも? それとも何? あたしがあんたに頼んで欲しいってこと? なんだって? あん? あたしはあんたをどこに連れてきた? リマで一番ロマンチックな場所でしょ! 違う? なのに、あんたはどうしょうもないグズで、あたしに何も言わない。まさか気づいてないとか? 気づいてるに決まってんじゃん! オマケに、もっと悪いことに、二人のうちのリードする側にあたしがならなくちゃいけないってか。ロマンチックなおしゃべりを始めたのはあたしだよ。あんたが素敵なことをあたしに言いやすいようにと思ってさ。それに気づかないっての? あん? ナントカ言ってみろよ…わかってんのか? 終わりだ。もう行くよ。あんたとは終わり。あんたのバカを我慢できるような、誰かほかの子を探すんだね。
 ああ、なんという…アルベルトをそんなふうに扱った人はかつて誰もいなかった。彼はそんな仕打ちを許してはこなかった。誰も彼にそんなふうに声を荒げたりすることはできなかった、一人の女性を除いては。とても誇り高かったから、そんなふうに侮辱されるままではいられなかった。相手が女性ならなおさらだ! 誰も彼をそんなふうに侮辱しない。まるでアルベルトがそこら辺りにいるマヌケであるかのように言ったりはしない。彼はカバジェロ家の人間だ。アルベルト・カバジェロだ。だから誰も彼をそんなふうに扱えたりはしなかった。あり得ない。なぜなら、彼の家族を侮辱していることになるのだから。評判高い、上流階級のカバジェロ家を、だ。ましてや、リマックの乞食風情がするなんて、なおさらあり得ない。
 自分を何様だと思ってるんだ。誰にでも喚く権利を持っているとでも? オマエをあんな悪臭のする並み程度の地域から引っ張り出してやり、リマのエリート層の集まりに連れて行ってやったのはオレだというのに! オレがそうしなければ、あんなクソみたいな地区、なんにもしないでただ生きているだけの連中の、酔っぱらいと娼婦の地区でオマエは腐っていたんだ。オマエに最も豪華な服を着せてやったのはオレだというのに! オレがそうしなければ、貧民街で売っている安っぽい模造品を着て汗疹でも作っていたんだ。どこまで卑しいんだ! エサをくれる主人に噛みつく犬か、オマエは! 恩知らず! 恩知らず! 恥知らず!(p.30-31)

イサベルに恋をしながらも、アルベルトの心のうちに潜んでいた差別意識が噴出した。こんな身も蓋もない大げんかをしながらも、二人は求め合い続け、ついには結婚することに決める。次は、カバジェロ家の身内のパーティにイサベルの一家が呼ばれていったときのシーンを紹介しよう。息子がリマックの娘と付き合っていることを承知できない母親は、イサベルに対する軽蔑的な態度を隠さない:

対立が開始されたのは、イサベルとカバジェロ夫人が偶然にも同時に同じ容器のサラダを取ろうとしたときだ。どちらも自分のために他方が譲るのを期待したのだが、どちらも譲らずに、眉を怒らせ、歯をぴったりと閉じて互いに見つめ合ったままストップモーションになった。イサベルが憤慨したのは、家の女主人が客人に小皿を最初に試食することを許さないなんて、礼儀と道徳にもとるからだ。もし誰かがイサベルに敵意の視線を向けたら、いま起こったようにだが、彼女はその倍の悪意を込めて、争いの視線を返してやるのだった。カバジェロ夫人にしてみれば、こんな生活困窮者が御しやすい息子の心を誘惑して、まんまと自分の家に入り込んでいることに恐怖を覚え、食べ物を与える者の手に噛みつく闖入者の態度におののいていた。
 ――アルベルト、どうしたの? あなたは金髪の子が好きだと思っていたのに、いまは黒髪の子が好きな?――中年の婦人は、イサベルから視線を逸らすことなく言った。
イサベルは自制しようとしたが、誰かに軽蔑的に扱われることは耐えられなかった。
 ――ちょっと待ちなさいよ。あたしに敬意を払いなさいよ。わかりましたか? バカ言ってんじゃないよ。あたしは黒髪じゃないし、黒髪だとして、だから何? アンタと違う人種だとなんか問題でもあるワケ、無礼なおデブさん?――イサベルはそう言い放つと、激怒してテーブルを立った。
 ――お嬢ちゃん。気に障ったなら、どうぞここから出ていきなさい。あなたと、あなたの家族というゴミも一緒にね。ほら、見なさいアルベルト、乞食をうちに連れてくるなと言ったでしょ。こういうことが、彼らが起こす問題なのよ。見てわかるように、こういうクズのような連中の興味あることといえば、お金だけ。この連中の場合、もうあなたからたっぷりと絞り取っているし、その上、あたしたちのお金を盗みたがっている。だからあたしは許さないのよ。ほかのカモを探しなさい。何を期待しているの? ほらほら、警察を呼ぶ前にとっとと行きなさい……(p.46)

とまあ、こんな具合。実は、小説の終盤近くなって、実際に警察につまみ出されることになるのはこの母親の方で、その下りは、読む人によってはひどく痛快だろう。著者はアルベルトを主人公に据えながらも、徹底的にイサベルの側に立って、金持ちたちの差別意識を撃つ。むろんイサベルはサキュバスなどではない。彼女に打算はまったくない。彼女にそうした幻影を見てしまうのは、アルベルト自身の心理の問題なのである(実はアルベルトにもちょっとずるい言い訳を著者は与えるのだが)。

■「21世紀のリマを描く」小説
いかにも才気溢れる18歳の若者が書いた小説らしく、過剰で激しく鮮明な印象を与える一方で、差別意識批判としては問題意識が少々浅薄で、また、著者が富裕層のごく若い青年であること、読者として現実のイサベルたち(「新中間層」)は想定に含まれていないであろうことからくる限界もある。

差別意識は個人の意図的な選択ではなく、無意識のうちに社会によって再生産されるものではないだろうか。たとえば、この小説はリマックの劣悪な環境を描いているが、それは一つの批判につながっていく。なぜなら、行政がその状態を放置している――何も対策を講じていないと言ったら抗議されそうだが、改善の成果が十分に現れているとは言い難い――という事実は、社会がそこに住む人々を尊重していないということを示唆しているからだ。それなら、アルベルトの住む地域(彼はカスアリナスというスルコ区の一角)についての描写や、彼ら富裕層の暮らしについても記述して、彼らの言動に焦点を当てるだけでなく、もっと多角的な批判の目を注いでしかるべきだろう。ところが、その辺りはほとんど対象化できていない。

ところで、イサベルの幼なじみマリオが留学先のスペインから戻ってくると、彼女はマリオに惹かれるようになり、結局、結婚をドタキャンすることになる。リマック区からスペインの大学へ留学する若者――そんな登場人物はおそらく過去のペルーの小説に登場したことはなかったのではないか。「21世紀のリマを描く」と謳う小説に相応しいキャラクターといえる。新しい世相を取り込み、批判精神とエンターテイメント性をうまくブレンドして、アクチュアルな問題に切り込んだこの作品は、書かれるべくして書かれた小説と思わせるものがある。リマに住む人が読むと土地勘が働くので非常に面白いのだが、そうでない人が読んでも、ペルーの現在の一端に触れることができて、十分に興味深いこと請け合いだ。本作は三部作の第一作であると予告されている。第二作にも大いに期待したい。

国際ダンスフェスティバルで「ペルー賛歌」を踊ったグループが示唆すること−−D1 "¡Mi Pachamama!"

ダンスグループ「カンパニーD1」が新作《¡Mi Pachamama!》を、第25回「新しいダンス:リマ国際フェスティバル」(DANZA NUEVA - XXV Festival Internacional de Lima/2013年6月6日〜7月13日)の最後を飾るプログラムとして発表した。このフェスティバルは毎年、ICPNA(北米ペルー文化協会)のホールで1カ月程度に渡って開催され、例年は南北アメリカを中心に来秘するダンスグループと国内グループがモダンダンスあるいはコンテンポラリーダンスの公演を行っていくのが慣例だ。ペルーにいて、海外のコンテンポラリーダンスのパフォーマンスを見られる貴重な機会の一つだ(ただし、中南米の「新しいダンス」は保守的なものが多く、あまり面白くない)。

25回目を数える今年の海外からの参加は北欧から3グループ、スイスから1グループ、そしてアメリカから1グループと華やかだったが、取りを務めるカンパニーD1の公演だけを見に行った。2005年に設立されたグループで、「ペルー初のジャンル横断的なダンスグループ」を謳っている。扱うジャンルとして具体的には、ヒップホップ、ジャズ、ブレイクダンス、バレエ、ファンク、ストリートジャズ、タップ、ペルー民俗舞踊がホームページに挙げられている。

創設者のVania Masias(1979-, Lima)は、ラテンアメリカジュニアバレエコンクール(el Concurso Latinoamericano Infantil de Ballet)で金賞を受賞し、リマ市立バレエの第一ソリスト(Primera Bailarina)として活躍していたが、10年ほど前からリマ周辺の貧困地区の子どもたちを救済する社会活動を始める。親が学費を払えなくて学校に行かなくなった子どもにダンスを教え、パフォーマンスで稼いだ資金や援助によって、再び学校に通えるようにするなどの成果を上げている。貧困地区で運営するダンス教室も、カンパニーD1も、彼女の主催する「文化協会D1」の下部組織として位置づけられている。


美しき舞姫が社会活動に身を投じて成果を上げているという話題性もあるのだろう。今回の公演に先だって、一般雑誌(『Hola!』)がVaniaの写真で表紙に飾り、インタビュー付きグラビアを掲載した。《¡Mi Pachamama!》の「Pachamama」とは、ケチュア語で「母なる大地」のことだから、新作のタイトルは「私の母なる大地」という意味になる。つまりは、ペルー賛歌である。

55分ほどの公演は、激しく車の行き交う大都会リマを喧噪を見せる映像を背景に、ストリートダンスを踊るシーンから、インカをイメージする衣装を着たモダンダンスへと急展開し、そしてペルー黒人文化の象徴である民俗楽器カホンの生演奏を経て、最後はリマなど沿岸地方の文化であるクリオージャの音楽とダンスで華やかなクライマックスを作るといった構成。ペルーの歴史をざっと振り返り、リマで暮らす「私たち」のルーツを振り返ろうとしているのだろう。ノーベル賞作家マリオ・バルガス・ジョサや国民的作家ホセ・マリア・アルゲダス、詩人セサル・バジェホなど著名なペルーの文学者の言葉が引用され、スクリーンにちりばめられていた。


さまざまなダンスが組み込まれ、ダンサーが民俗楽器カホンを抱きかかえて、グラン・ジュテするといった混合も見られた。Vaniaも一部に登場して、バレエ出身らしい美しい立ち姿で、貫禄のある短いソロを見せた。ただし、構成上の必然性はあまり感じられず、ファンサービスといった印象ではあったが。

Vaniaのスター性、ペルー賛歌というテーマ、盛りだくさんな内容……これだけの要素が揃えば、終演後、客席が大いに湧いたのは必然といえよう。

けれども、私のような外国人の醒めた観客には興奮させる要素が見あたらないのも事実ではないか。インカに対する視線は観光客の視線となんら変わるところがないように見えるのは、実際のところ、今日、リマに暮らす若者にとって、インカ文化はほとんど無関係な存在だからだ。クライマックスを飾ったコスタ(沿岸地方)のダンスだって、観光客向けのショウとたいして違わないように見えた。異なるジャンルのダンスも並列されるだけで、そこから「新しいダンス」が創造されているようにも見えなかった。

芸術路線のフェスティバルの最後に置かれていたから、そのような批判的な眼差しを向けてしまったのだが、あとで、このグループのホームページを読むと、どうもこのグループは他の参加グループとは異質で、主眼に置いているのは商業路線らしい。企業が主催するイベントのオープニングで踊ったり、テレビ番組で踊ったりして、若者たちが生計を立てられるということが第一で、ジャンル横断性を謳うのも、「クライアントのさまざまなニーズに応えられる」というセールスポイントを誇示するためではないかと思われる。

したがって、カンパニーD1を批判するのはお門違いで、むしろ、国内からフェスティバルに参加するグループとして彼らが選ばれたという事実について考えなくてはいけないのだろう。まったくの想像でしかないのだが、おそらくカンパニーD1側が国内で国際的にアピールできる発表の場を探していたのだろう。そして、よりたしかなことは、ペルー国内には、このフェスティバルにまだ出場経験のない、相応しいグループがほかにいなかったということであろう。

なお、"¡Mi Pachamama!"はVaniaとブラジル人のSergio Bertoの共同作品であった。