18歳の若者が切り込むリマの人々の差別意識――《Súcubo a la limeña》
■持続的な経済成長を背景に
ペルーの首都リマに住んでいて感じる、日本の都市との違いといえば、やはりすざまじい経済格差だろう。リマ市の中には、使用人が何人も働く大邸宅の並ぶ地域もあれば、上下水道のない劣悪な環境の地域も目立つ。そして、植民地時代までさかのぼれる富の極端な集中、固定的な社会経済階層と人種との相関性、地域との相関性が、人々の間に差別意識を醸成してきた。公式には差別は悪とされ、差別意識と戦う動きも見られるが、価値観というものは、決心さえすれば変えられるというものではない。大ぴらに差別意識をあらわにすることははばかれるようになっても、人々の胸のうちには残り続けているようだ。
一方で、ペルーは2002年以降毎年(但し世界金融危機の影響を受けた2009年を除く)4〜9%の経済成長を続けており(2013年も同様に成長が見込まれている)、この継続的な経済成長が、かつての貧困層から、収入面では中間層並みになった「新中間層」(emergenteとかpujanteと呼ぶ)を出現させた。彼らを含めて数えるとペルーの人口の7割を中間層が占めるというから驚きだ。「一握りの支配層と大多数の貧者の国」という図はもはや完全に過去のものとなった。
しかし、収入面で「並み」となった人々が、たとえば「日本の中流」のような暮らしをしているかというとそうではない。彼らの住んでいる地域は依然として劣悪な環境にあり、治安もすこぶる悪い。だから、彼らの地域には近寄りがたい私たち(駐在日本人)には、その地域の中で起こっている変化を実感しにくい。
こんな話を聞いた。私のスペイン語家庭教師の本業は翻訳業なのだが、彼女の翻訳仲間にはリマックという地域に住んでいる若い女性たちがいるという。リマック区は旧市街中心部(セントロ地区)に隣接する地域で、最下層の地域ではないが、観光客の歩き回るセントロ地区にも負けない観光資源のある地域でありながら、治安があまりに悪いので、一般観光客は歩かないし、私たちも気軽には足を踏み入れない。そんなリマック区に住みながら、高級オフィス街へ通って翻訳の仕事をしている彼女たちは、高級ブランドのハンドバッグをまとめ買いして、私の家庭教師を驚かせたという。彼女らは翻訳の仕事を請け負えるだけの高等教育を受けているし、購買力もあるのだ。しかし、あえて生まれ育ったリマックから引っ越そうとはしない。
安全な地域へ移り住むと、生活費が大幅に膨らんでしまうから、それよりは住み慣れた地域に住み続けて、もっと他のことにお金を使いたいのだろう、と家庭教師は想像する。家庭教師自身は旧中間層の地域(サンミゲル区)に両親と一緒に住んでおり、「リマックには怖くて行けない」というが、リマックで生まれ育った彼女の仕事仲間は、その地域で生きるための、危険を避ける知識と技術を持っているから、いわば二重生活をこなしていくことができるのだろう(購入したハンドバッグは、自宅付近では汚い不透明のビニール袋に包んで決して人目に触れさせないのだそうだ)。
「新中間層」には購買力もあるが、同時に子どもに良い教育機会を与えることの重要さもわかっている。公立教育の質の向上はペルーの国家的な課題の一つだ。良い教育を受けさせようと思う「新中間層」の親は生活を切りつめて、子どもを私立の学校に通わせている。大学も公立より私立の有名大学のほうがよいし、一番いいのはアメリカやヨーロッパに留学させることだと言われている。「新中間層」からそうしたハイレベルの大学へ入学する事例もでてきているのではないかと想像される。
■「新中間層」の住む町とは
さて、今年になって、富裕層の18歳の若者が、リマの格差社会に残存し続ける差別意識をテーマにした小説を発表し、話題を呼んだ。《Súcubo a la limeña》(『リマ風サキュバス』)(Bizarro ediciones, 2012)という2012年11月(公式発売は2013年6月:マスコミが取りあげたのはこのタイミングだ)に発行された本で、著者Jhonattan K. Díaz Gastelo(ジョナタン・K・ディアス・ガステロ)はその翌月に高校を卒業し、今年、名門私立カトリカ大学に入学したばかりだ。

表紙を飾るのは、演劇や美術でも活躍する著者自身が扮した七つの大罪のイメージだ
小説の中身は「富裕層の息子がリマック区に住む娘に恋をして、結婚しようとしたらどうなるか?」という話で、差別意識をむき出しにする息子の母親と、息子と付き合うことで経済的な恩恵をたっぷりと受けながらも誇り高い態度を維持する娘の応酬が、嫌みな気取った文体で描かれている。
題名のサキュバスは男性と性交して男性から生気を吸い取るという中世ヨーロッパの伝説に出てくる女の魔物のことで、リマ風のサキュバスとは「金持ちの青年を性的に誘惑して、富を吸い取る悪女」のイメージである。
この小説は、普段はなかなかうかがい知れないリマの人たちの意識が表現されているので、大変興味深い。また、なかなか直接は見られないリマック区の人々の暮らしもかいま見ることができる。
面白さを伝えるには、本文を読んで貰った方が早いので、試みにちょっとだけ和訳してみよう。
まず、お金持ちのどら息子である主人公アルベルトが、付き合っているイサベルに告白しようと決心して、自分の車を運転してイサベルの住むリマック地区へ車で向かう下り。アルベルトは上手に告白できる自信がないため、近所の同世代の知人マティアス(通称ベイビイ)を連れて行くことにした。しかし、ベイビイは、リマックがどんなところか、よく知りもしないのだった:
車が何キロも走ってから、ようやくベイビイは事態に反応した。自分たちがどんなところへ向かっているのかやっと呑み込めたのだ。彼は驚いて周囲の景色に釘付けになった、ビールとチョコレートでちょっとだけ気が散ったとはいえ。むっちりした女性たちが子どもたちの手を引いて、歩道橋を渡る代わりに、我が子を危険に晒しながらベイビの乗る車の前を横切っていくのが見えた。通りには一酸化炭素のもやがたれ込めていた。野蛮なマイクロバスたちがぼんやりと歩く通行人たちに向かって射精していった排気ガスなのだ。バスはこうして、副王領の首都の遺産を台無しにしながら走り回っているのだ。国家主義政党の大きなプラカードが歓迎の文字を掲げていた。マティアスは腕時計を外し、ズボンのポケットにしまった。マドリッドを旅行したときに母に買ってもらったものだ。そして、繰り返し上から触って、そこに腕時計がまだあることを確かめた。まだ、隣人の運転する車の中にいるというのに。(p.21)
■富裕層の差別意識
つきあい始めて半年以上が経ち、そろそろ正式に恋人関係になる告白をしようとアルベルトは考え、イサベルもそれを期待している。告白はペルー人のカップルにとっては非常に重要なステップだ。どんなにデートを重ねても告白がなければ、二人はまだ友人関係(amigos)のままである。この段階で複数の異性と同時に付き合うことに問題はない。告白があり、周囲に二人の関係を公表してはじめて恋人関係(enamorados)になる。
ところが、臆病なアルベルトは、イサベルのほうでデート中に告白の機会を作ったにもかかわらず、「好きだよ」と言った後で、「友達として」と付け加えてしまう。イサベルは猛烈に怒り出す:
――ばか! 何もかもクソくらえ! 信じらんない、マジに。信じらんない。あたしがあんたをここに連れてきたんだよ。そんで結局、バカをみるわけ? 今日は午前中いっぱいかけて、あんたのために髪を直毛に変えて、栗毛色に染めた。昨日はこのスカートを買った。どれもこれも、カワイイ服を着たあたしにあんたが告(コク)るっていう素敵な思い出が作れるように。全部完璧だったんだ。全部うまくいった。でも、あっそ! あんたにとってはどーでもいいってことか。バカでエゴイスト、それがあんた。くそったれのエゴイスト。ざけんじゃねえよ。テメエ自身、気づいてんだろ。脳ナシじゃないだから。ただ単に、バカのふりしてたいだけ。マヌケはなんにも気づかない。いったいどうしたっていうの? あんたにキンタマは重荷かも? それとも何? あたしがあんたに頼んで欲しいってこと? なんだって? あん? あたしはあんたをどこに連れてきた? リマで一番ロマンチックな場所でしょ! 違う? なのに、あんたはどうしょうもないグズで、あたしに何も言わない。まさか気づいてないとか? 気づいてるに決まってんじゃん! オマケに、もっと悪いことに、二人のうちのリードする側にあたしがならなくちゃいけないってか。ロマンチックなおしゃべりを始めたのはあたしだよ。あんたが素敵なことをあたしに言いやすいようにと思ってさ。それに気づかないっての? あん? ナントカ言ってみろよ…わかってんのか? 終わりだ。もう行くよ。あんたとは終わり。あんたのバカを我慢できるような、誰かほかの子を探すんだね。
ああ、なんという…アルベルトをそんなふうに扱った人はかつて誰もいなかった。彼はそんな仕打ちを許してはこなかった。誰も彼にそんなふうに声を荒げたりすることはできなかった、一人の女性を除いては。とても誇り高かったから、そんなふうに侮辱されるままではいられなかった。相手が女性ならなおさらだ! 誰も彼をそんなふうに侮辱しない。まるでアルベルトがそこら辺りにいるマヌケであるかのように言ったりはしない。彼はカバジェロ家の人間だ。アルベルト・カバジェロだ。だから誰も彼をそんなふうに扱えたりはしなかった。あり得ない。なぜなら、彼の家族を侮辱していることになるのだから。評判高い、上流階級のカバジェロ家を、だ。ましてや、リマックの乞食風情がするなんて、なおさらあり得ない。
自分を何様だと思ってるんだ。誰にでも喚く権利を持っているとでも? オマエをあんな悪臭のする並み程度の地域から引っ張り出してやり、リマのエリート層の集まりに連れて行ってやったのはオレだというのに! オレがそうしなければ、あんなクソみたいな地区、なんにもしないでただ生きているだけの連中の、酔っぱらいと娼婦の地区でオマエは腐っていたんだ。オマエに最も豪華な服を着せてやったのはオレだというのに! オレがそうしなければ、貧民街で売っている安っぽい模造品を着て汗疹でも作っていたんだ。どこまで卑しいんだ! エサをくれる主人に噛みつく犬か、オマエは! 恩知らず! 恩知らず! 恥知らず!(p.30-31)
イサベルに恋をしながらも、アルベルトの心のうちに潜んでいた差別意識が噴出した。こんな身も蓋もない大げんかをしながらも、二人は求め合い続け、ついには結婚することに決める。次は、カバジェロ家の身内のパーティにイサベルの一家が呼ばれていったときのシーンを紹介しよう。息子がリマックの娘と付き合っていることを承知できない母親は、イサベルに対する軽蔑的な態度を隠さない:
対立が開始されたのは、イサベルとカバジェロ夫人が偶然にも同時に同じ容器のサラダを取ろうとしたときだ。どちらも自分のために他方が譲るのを期待したのだが、どちらも譲らずに、眉を怒らせ、歯をぴったりと閉じて互いに見つめ合ったままストップモーションになった。イサベルが憤慨したのは、家の女主人が客人に小皿を最初に試食することを許さないなんて、礼儀と道徳にもとるからだ。もし誰かがイサベルに敵意の視線を向けたら、いま起こったようにだが、彼女はその倍の悪意を込めて、争いの視線を返してやるのだった。カバジェロ夫人にしてみれば、こんな生活困窮者が御しやすい息子の心を誘惑して、まんまと自分の家に入り込んでいることに恐怖を覚え、食べ物を与える者の手に噛みつく闖入者の態度におののいていた。
――アルベルト、どうしたの? あなたは金髪の子が好きだと思っていたのに、いまは黒髪の子が好きな?――中年の婦人は、イサベルから視線を逸らすことなく言った。
イサベルは自制しようとしたが、誰かに軽蔑的に扱われることは耐えられなかった。
――ちょっと待ちなさいよ。あたしに敬意を払いなさいよ。わかりましたか? バカ言ってんじゃないよ。あたしは黒髪じゃないし、黒髪だとして、だから何? アンタと違う人種だとなんか問題でもあるワケ、無礼なおデブさん?――イサベルはそう言い放つと、激怒してテーブルを立った。
――お嬢ちゃん。気に障ったなら、どうぞここから出ていきなさい。あなたと、あなたの家族というゴミも一緒にね。ほら、見なさいアルベルト、乞食をうちに連れてくるなと言ったでしょ。こういうことが、彼らが起こす問題なのよ。見てわかるように、こういうクズのような連中の興味あることといえば、お金だけ。この連中の場合、もうあなたからたっぷりと絞り取っているし、その上、あたしたちのお金を盗みたがっている。だからあたしは許さないのよ。ほかのカモを探しなさい。何を期待しているの? ほらほら、警察を呼ぶ前にとっとと行きなさい……(p.46)
とまあ、こんな具合。実は、小説の終盤近くなって、実際に警察につまみ出されることになるのはこの母親の方で、その下りは、読む人によってはひどく痛快だろう。著者はアルベルトを主人公に据えながらも、徹底的にイサベルの側に立って、金持ちたちの差別意識を撃つ。むろんイサベルはサキュバスなどではない。彼女に打算はまったくない。彼女にそうした幻影を見てしまうのは、アルベルト自身の心理の問題なのである(実はアルベルトにもちょっとずるい言い訳を著者は与えるのだが)。
■「21世紀のリマを描く」小説
いかにも才気溢れる18歳の若者が書いた小説らしく、過剰で激しく鮮明な印象を与える一方で、差別意識批判としては問題意識が少々浅薄で、また、著者が富裕層のごく若い青年であること、読者として現実のイサベルたち(「新中間層」)は想定に含まれていないであろうことからくる限界もある。
差別意識は個人の意図的な選択ではなく、無意識のうちに社会によって再生産されるものではないだろうか。たとえば、この小説はリマックの劣悪な環境を描いているが、それは一つの批判につながっていく。なぜなら、行政がその状態を放置している――何も対策を講じていないと言ったら抗議されそうだが、改善の成果が十分に現れているとは言い難い――という事実は、社会がそこに住む人々を尊重していないということを示唆しているからだ。それなら、アルベルトの住む地域(彼はカスアリナスというスルコ区の一角)についての描写や、彼ら富裕層の暮らしについても記述して、彼らの言動に焦点を当てるだけでなく、もっと多角的な批判の目を注いでしかるべきだろう。ところが、その辺りはほとんど対象化できていない。
ところで、イサベルの幼なじみマリオが留学先のスペインから戻ってくると、彼女はマリオに惹かれるようになり、結局、結婚をドタキャンすることになる。リマック区からスペインの大学へ留学する若者――そんな登場人物はおそらく過去のペルーの小説に登場したことはなかったのではないか。「21世紀のリマを描く」と謳う小説に相応しいキャラクターといえる。新しい世相を取り込み、批判精神とエンターテイメント性をうまくブレンドして、アクチュアルな問題に切り込んだこの作品は、書かれるべくして書かれた小説と思わせるものがある。リマに住む人が読むと土地勘が働くので非常に面白いのだが、そうでない人が読んでも、ペルーの現在の一端に触れることができて、十分に興味深いこと請け合いだ。本作は三部作の第一作であると予告されている。第二作にも大いに期待したい。