動作・ジェスチャー・ダンス(石井満隆)

7月29日、前から一度見てみたいと思っていた石井満隆麻布die pratzeでソロをやるというので見に行った。フリージャズらしきアルト・サックスとトランペットを吹くバッキーとダルブッカ(ダラブカ、中近東の陶器の太鼓)を演奏する有田帆太の生演奏が付く、 [ Hic et nunk 〜今ここで、この場で〜 ] という公演。石井は土方巽直系の舞踏家の一人で1939年生まれ。

公演は、無音状態で、薄暗い舞台に客席がふらりと石井が現れて始まり、途中で掃けて演奏だけになる部分を挟んで、45〜50分くらい。興味が持続したのは最初の15分くらいだった。顔と胴に白っぽい泥を塗って、赤いふんどしを締めて、腰回りに浴衣や布をスカート状に巻き付けている。目をしっかりと見開いて空を睨みながら踊る(前半はずっとこうだった)舞踏家というは、私は初めて見た。この特徴は後で書くことと深く関係していると思う。公演の後、宮下省死の司会でトークがあった。このトークは驚いたことに公演よりも長かった。もともと、公演・トークの2部構成なのか?

全体を通して面白かったのは、石井の舞踏を見て印象に残った動きが、しゃべりながらする彼の身振りに現れていたことだ。自作の中に現れてくる特徴的な動きが、そのダンサーの日常的な身振りの中にも見られると言うことは良くあることだ。それはその身体の癖のようなものと思われることが多いのだが−−それはそれで別の意味で興味深いが−−、石井の場合、面白いと思ったのは、その身振りの持つ意味がダンスにおいても維持されているように見えたことだ。

土方巽との稽古について語りながら、「誰かが何かを発見する」と言って、腕を前に突きだして、宙にある見えない対象を下から掴んで手に取る身振りをする。あるいは、稽古の方針について語りながら、「技術ではなく、いろいろなやり方で試してみる」と言って、目の前の空間に対して構えを変えて見せるように、両肩のバランスと上半身の向きをカクカクっと瞬時に変えてみせる。

最初の身振りはわりと一般的だが、彼のその動きは決して一般的ではない。日常的なジェスチャーにしては身体の使い方が過剰なのだ。ジェスチャーであるなら物を掴む腕の動きさえ聞き手に判らせればいいのだが、彼の場合、腕を動かすのに必要となる以上の動きが全身に現れる。2つの目の身振りは、これは身振りそのものがかなり独特で、普通の人はあんな風な肩の動かし方はできない。

(1)高い位置にある何かを掴むという実際の動作には、そのために必要な合理的な身体の動きが現れる。(2)そこからジェスチャーになる過程で、腕の動き、そして顔を掴む物の方に向けるなどの、動作の外見的な特徴と主体の志向性を示す部分だけが残ってあとは省略され、残った動作も記号として成立するギリギリまで簡略化される。この動作には、手にした物から伝わってくるであろう重さに予め備えるといった全身的な動きはもはや失われている。(3)次に、この一度やせ細った動作に、物を掴むという本来の合理的な動作とは違う協働的な働きが加わっていき、動作の全体に日常を逸脱した過剰さが備わっていく。それがダンスの中の動きとして相応しいものになる。このとき、動作の記号性は弱められる。より曖昧で、象徴的な意味へと後退する。ダンスの中で相応しい文脈が与えられなければ、元来の意味とはまったく切れてしまい、動きだけが残ることもあるだろう。

石井がジェスチャーとして(3)的な動きをしたということは、彼の中では、(3)的な動きはジェスチャーレベルの意味性としっかり結びついているということの現れではないかと私は思った。だとすれば、舞踏の中で彼が上述の動きをするとき、彼はトークにおいてと同じように「宙に何かを発見してそれを掴む」「空間に対する構えを変える」といった意味を(半ば無意識的にではあれ)提示しようとしているのではないか。

照明が非常に空間構成的に設計されていたことも、この推理の傍証となるように思われる。「今ここで、この場で」 −−わざわざ「この場で」と言い添えているわけだが、石井のいう「ここ」とは、照明が構成する舞台空間のことであり、外部より与えられたものとしてある空間のことなのではないかと思えるのだ。所与の空間に彼は立ち、バッキーが作る「いま」の中で、何かを発見してそれに関わったり、自らの構えを変えて関わり方を変えたりしながら、自分の生きていることを確かめていく−−というのが彼の舞踏なのではないか。で、そういう主客二元論的発想で舞踏を作ってしまっているところが、彼の身体の独特さにもかかわらず、舞台そのものはあまり面白く感じられない理由ではないかと思ったりした。舞踏よりトークをしているときの彼の方がずっと面白い。思考がポンポン跳んで、話題が拡散していき、その中にユーモアに満ちたメリハリを利かせるのだ。聴いていて思わず笑みがこぼれてしまう。トークこそ彼のダンスだよ。