「東京の、バスでしか行けない住宅街」(桃唄309)

前の記事の続き。
1968年生まれ、山形県の果樹園農家と自衛隊駐屯地の町出身の阿部和重が、自分の故郷を舞台に日本の戦後の退廃を描き、1964年生まれ、北海道十勝平野の小さな町出身の鐘下辰男が、ニュータウンの閉塞状況を土地の伝説と結びつけて描いた(鐘下の場合、彼が脚本を書いた[ 蝦夷地別件 ] (六本木俳優座で2月に上演)という作品があるらしいが、残念ながら私は見ていない)。土地の歴史性と今の私たちの暮らしを巡る問題系で、これらの作品よりも私にとってもっと身近なものになるはずのものは、1967年生まれ、東京出身の長谷基弘による、おそらく上演会場のある中野区辺りの再開発がテーマになっている[ おやすみおじさん2−影食いと影吐き ] 劇団桃唄309により4月に中野ポケットで上演)でありえたはずだった。年齢と出身が自分に近い上、芝居のチラシに書かれた「東京の、バスでしか行けない住宅街が主な舞台の。」というコピーは、まさに私が子ども時代を過ごした場所のことだったからだ。

だから相当期待して見に行ったのだが−−ちなみに、桃唄309も鐘下辰男の舞台も今回初めて見た−−、それだけに失望も大きかった。フタを開けたら、実際、ノスタルジーに充ち満ちた舞台だったが、物の怪たちと山伏みたいなおじさん、悪役らしき妖術使いが入り乱れて戦う、子ども向け勧善懲悪ドラマのごとき展開の芝居だったからだ。役者たちがふすまのような書き割りを持ち歩くことで背景を瞬時に作る「自立不能舞台装置」によって、目まぐるしく場面転換するので、それこそ、子ども時代に戻って「仮面ライダー」のようなTV番組でも見ているようなノスタルジーを味わわせてくれる。

しかし、あるシーンの後、別の場所で交わされた一言のやり取りを見せるために、ほんの十秒かそこらその場面を作ってみせるというのは、映像というメディアではメディアの欲望に沿っていると思うが、演劇においては想像力を奪うやり方としか思えない。とにかくせわしないことこの上なく、舞台を象徴的な場としてみる余地が与えられない。こんなやり方では、テーマと方法論が矛盾しているのではないか。

結局、この世と別の世界を行きつ戻りつしつつ繰り広げられる戦いを追いかけるのに精一杯で、長谷が再開発の問題をどう考えているのか、よく判らなかった。まさか、「再開発によって、物の怪の生きる余地がなくなってしまう」とか、そんなことだけが言いたいのではないだろう。新興宗教の道場や健康食品の店(そういえば、『シンセミア』の田宮家の次男は東京で健康食品の店をやっているのだった)が商店街に出てきているという設定にも何かあると思うのだが。この作品は全10作で構想された「おやすみおじさん」シリーズの第2作なので、もっと他の作品も見ないとよく判らないのかも知れないが、4月に見た一作で付き合おうという気力を失った。

私は東北地方で数年間暮らしていた経験があるが、その時に東京にノスタルジーを感じたことは一度もない。周囲の友人たちが郷土愛を漂わせる口調になったり、ホームシックにかかったりするのに接すると、その自分には抱きようのない土地との情緒的つながりに、彼らを羨ましく感じたりした。東京に戻ってから、かつて自分が過ごした地域を訪ねてみたことがあった。すると、懐かしさを感じることが不可能なほどに風景は変わっていた。それを見て、もはやその土地の名前を挙げて、自分はそこで育ったと言うことがはばかられる気がしてきた。そして、その後も風景は変わり続けた。これからもどんどん変わっていくと思う。不景気なぞどこ吹く風で、今現在も東京の各地で再開発は進行中だからだ。東京をちょっと歩けば建設現場が目に入る。東京の住宅街では、土地の名前は単に位置を示す記号だったり、実体を伴わないイメージのようなものでしかないのだ。

「クニはどこですか?」−−地方で暮らしている時、そう訊かれることは頻繁にあった。新しい出会いのたびに訊かれると言っていいくらいだ。彼らは、出身地を人を理解する上での重要なファクターだと考えている。「東京です」−−は、最もつまらない回答だ。彼らはちょっとガッカリし、人によってはちょっと妬む。質問者の頭の中に、土地の風土や歴史的イメージ(それらは得てしてステレオタイプなものだが)の代わりに、TVで頻繁に目にしている都会の映像が浮かぶからだ。

そんな彼らの認識は、案外正しいのかも知れない。ビルド・アンド・スクラップの「東京の、バスでしか行けない住宅街」は、TV画面に氾濫するイメージのようなもの(シュミラクル)に覆われているとも言えそうだから。しかし、やっぱりそれだけではないと思うし、仮にそうした属性が主だとしても、歴史性の空虚な土地に生まれた人間ならではの生き方やアドバンテージというものもあるだろう、という気がするのだ。何も住宅地に残された神社にすがりついて、神様や物の怪を呼び寄せなくたっていいはずだ。そういうビジョンを見せてくれるような芝居がぜひ見たい。