上村なおか「沈める珠」――水底の舞姫は自分のタイミングで舞う方がよい('03年11月15日)

2003年11月7日(金) 19:30 ベニサン・ピット
構成・振付・出演:上村なおか

その安定感、その動きに対する美意識の所在に、バレエの出自が刻印されている。そこが彼女の美点なのだが、反面、その出自からの遠心力を志向する場合には、そこがブレーキとして作用してしまっている。言い換えると、何をやっても上品な印象があって好感が持てるのだが、そこはかとなく残るバレエ的美意識に抗して動こうとするとき、どうにも中途半端なものに留まってしまうのだ。「沈める珠」は長い暗転を挟んだ2部構成で60分強の作品。無音か無拍状態の音の流れている部分(A)と、音楽がビートを刻んでいる部分(B)が交互に現れる(最後だけ反転。A-B-A-B:A-B-B-A)のだが、自分のタイミングで動いている(A)パートの方が断然良い。

私が一番魅力的に思えたのは、冒頭の15分だ。赤いタートルネックのセーターに、緑色の柄の白いスカートを履いて、舞台の奥(*1)ら登場。じっと掌を見る、見えない髪を梳かす、などの情感を湛える仕草が現れては、それがどこか体操的なダンスの振りによって繰り返し掻き消されていく。あるいは、じっと耐えているような状況から、ひょいと外れて動き始める。その振幅を見ていると、即興性に富んだ随筆を読むような面白さが感じられる。こうして、手前のスペースへと活動の領域を徐々に広げていき、彼女の移動とともに寒々しかった暗い空間の中に暖かみも広がっていく。この間、ほとんど無音なのだが、頭上の方で時折、水中で聴く金属音のような、何かが擦れるような音がする。天井の高いベニサン・ピットのスペースの特徴をうまく使って、観客も彼女と一緒に水底に沈んでいるような気分にさせてくれる。彼女の捕らえても捕らえてもするりと逃れていくようなダンスは、深い水底の音のない世界、時間の円環する世界にとてもよく似合う。ただし、途中から入る青色の照明は駄目押しが過ぎて蛇足だと思う。

それに続く(B)パート、特にもっと後になって出てくるアップテンポでビートを刻むような曲の部分においては、彼女の動きのキレの悪さ、スピード感のなさがはっきりと出てしまい、残念に思われた。幻想的な導入部と終結部で縁取られた作品の中間部では、多彩なシーンを並べて変化に富ませたかったのだと思うが、今の彼女の場合、バラエティの豊さよりも、もっと自分の持ち味を徹底的に活かすことに重点をおいた方が良かったと思う。

長い暗転の間に、着替えて第2部が始まるのだが、ここはただずっと暗転している以外に、もっと別の気の利いたやり方はなかったのか。第1部の後半はセーターとスカートを脱ぎ捨て、黒のビキニスタイルになる。そして、第2部ではそれに黒いブラウスと、黒いシースルーのふわっと広がるスカートを纏う。シックな衣裳が似合う。観客を挑発したり、自分を押し出していくタイプのダンサーではない。床に這いつくばっても、美しく上品さを失わない。自分の持ち味をベースにしながら、どうやって変化に富んだシーンを開発していくか−−その辺が、ソロ第4弾への課題のように思われた。

(*1)ベニサン・ピットの舞台は、手前の広いスペース(この床の片側に客席が仮設されている)とその奥の1m位高くなった部屋のようなスペースの二段構造になっている。段のところの中央には柱があり、客席から見ると奥のスペースは二分割されて見える。客席を含む手前のスペースは、床面積の割に天井がもの凄く高い
(2003年11月15日記)