「dance today 11 ダンスをめぐる風景展」−−最大の収穫は「USUSU ANIMA」('04年11月11日)

2004年10月9日(土) 15:00〜 神奈川県民ホール・ギャラリー
「dance today 11 ダンスをめぐる風景展」
USUSU:映像作品「USUSU ANIMA」
勅使川原三郎インスタレーション 「Light behind Light」
映像作品「perspective study vol.1」 「T-CITY」「ケシオコ」
クリスチャン・リゾー/カティ・オリーヴ:インスタレーション「100%ポリエステル 踊る物体」
「USUSU ANIMA」−−スケール感と距離感の混乱
「dance today 11 ダンスをめぐる風景展」を見る。4つの映像作品と2つのインスタレーション、それに時間を決めて行われるパフォーマンスによって構成されている。始めにUSUSUというグループ(「うっすっす」と発音するのだそうだ。城戸晃一、新堀孝明、南隆雄のユニット)の新作の映像作品「USUSU ANIMA」を見る。「洞窟の中でふしぎな感覚を得た主人公の実体験をもとに、未知の身体感覚を開く「場」と「時」を追体験するリアルアクション・ライブイマージュ」(引用は「dance today 11」のWebページから)なのだそうだ。

RGBのブルーみたいなのっぺりとした青い池が画面一杯に拡がっている。それが池であることはその周囲を石のゴロゴロした斜面の映像が囲んでいることから判断できる。さざ波も立っている。しかし、青と白に二値化してグラデーションが欠落しているので、大きさが判断できない。ひと跨ぎ出来そうな水溜まりのようにも思えるし、大きなダム湖のようにも思える。それによって、斜面の石も小さな小石のようにも、大きな岩のようにも見える。スケールの失われた奇妙な感覚。

虫(アブ?)らしきものが一匹、せわしなく飛んでいる。やがて水面を手漕ぎボートが横切り始める。この二つの動く存在によって、距離感の不確さからも奇妙な感覚が生まれる。二つの動く存在に、どこか偶然を超えた関係性を感じてしまう。しかし大きさの比較からして、虫はカメラの近くに、ボートははるか遠くにあり、二者に関係性は生じているとは思えない。それとも、池は本当は小さな水溜まりで、ボートは縮小されて合成されているのかもしれない(色はクロマキーの青なのだし)。

ともあれ、水面同様に二値化されていてもその動きからボートを漕いでいるのは人形ではなく人間であることは察知できる。多分、奇妙な感覚の最大の鍵はここにあるのだ。動きを人間のものとして知覚するメカニズムが私に働く時、この映像情報の全体を、知覚される人間との関係とにおいて捉えようとするメカニズムにもトリガーが掛かるのだと思う。ところが、そのメカニズムはスケール感と距離感の混乱に出会ってしまうのだ。こうしたことは、映像を見る立場にいるからこそ体験できる混乱なわけだけど、それを自分自身と自分を取り巻く環境との関係に投影したくなる。そうすると、ダイレクトに知覚していると信じている環境は、実はその影にある心細くなるような推論を基盤に成立しているのではないか、という気がしてくるのだ。

映像がスクロールするようにして、あと2つのシーンが登場するが、それらはあまりピンとくるものではなかった。次のシーンでは、まるでエルンストの絵画(「雨後のヨーロッパ」とか)を思わせなくもない層状の崖が正面から映され、壁面の中央に黄色いつなぎ+ヘルメット(宇宙服のようなもの)が立っている。左端から、白抜きされた人のシルエットが壁面を水平に横切って歩いてきて、”宇宙服”を通り過ぎる。服によって外界に対する感覚が間接化された状態にあって、気持ちだけが周囲の環境内を動き回っているような精神状態を表現しようとしたのだろうか。生体遊離みたいなものか。

USUSUと風間るり子(黒沢美香との名前の使い分けがわからん)のパフォーマンスを見たが、退屈極まりなし。前半のUSUSUの部分と後半になって絡んでくる風間の関係性が全然理解できなかったからだろう。台風22号の影響でブレーカーが落ちて、一時展示が中断されるというアクシデントがあった。この日、会場に居た15時から17時半という時間帯は、横浜はまさに通過中の台風の直中にあったわけで、海辺の地下室ともいえる会場にいて、この程度のアクシデントで済んだのは幸いと言えよう。ただ、アクシデントの際のスタッフの対応が悪すぎ。「どうしようか?大きな声で言った方がいいかな?」なんて相談しているなよ。会場から客を一旦追い出した後のアナウンスもきちんとされなかった。延期になったパフォーマンスを再開する前に、きちんとその旨をアナウンスすべき。まあ、こういう場は素人集団によって運営されているのが実情なんだろうが、そのくらい出来てもいいはず。

勅使川原「perspective study」−−スタジオの身体感覚的記憶
勅使川原三の新作「perspective study vol.1」は、スタジオ内(BankART1929馬車道スタジオ1で制作したらしい)で、佐東利穂子と、エチオピア出身の男性ダンサー、ジュナイド・ジェマル・センディの2人を被写体に撮ったもので、20分程度の映像作品。タイトルからすると遠近法に対する興味から作られたらしいのだが、前半は静止状態の2人の全身や、局部のクローズアップを静止したカメラでじっくりと撮影しているカットが続き、佐東とセンディの身体的な対比に関心が行ってしまう。

それで、「perspective」という言葉を通常の視覚的な意味としてではなく、佐東−センディを両極として浮かんでくるダンサーの身体のさまざまな様相といった領域を示す言葉として曲解してみたくなる。そうした関心から見ていると、もっと2人にいろいろなポーズを見たいという欲求が湧いてくるが、勅使川原の関心は別のところにあるようで、そういうことへの色気はストイックなほどにみせない。

ところで、映像を見ているうちに、亀戸のKARASスタジオで開催されていたワークショップに通っていた頃の、スタジオの中で身体を動かしていた時の感覚が蘇ってきた。スクリーンの下の床面には、照り返しを防ぐために黒いシートが敷き詰めてあり、それがまるでリノリウムであるかのような気がしてきて、臭いまでしてくるという錯覚が生じた。個人的な感傷が作用しているのかも知れないが、それだけではないと思う。

と言うのは、KARASのスタジオは、それなりに勅使川原のスタジオという空間に対する意識に影響を与えているだろうし、同じスタジオ内で、私自身も空間の感じ方を講師役のKARASのメンバーを通じて教わっているからだ。例えば、コンクリート打ちっ放しの天井と壁面がぶつかるスタジオのコーナーのところを捉えたカットなどを見る時、自分はワークショップの最中、まさしく亀戸スタジオのコーナーをあんな風に見つめていたのだ、という実感が湧いてくるのだ。

クリスチャン・リゾー/カティ・オリーヴのインスタレーション「100%ポリエステル 踊る物体」(横浜バージョン)は、「袖どうしを結んだ2枚のドレスが、扇風機が並んだ小道の上にぶらさがっている。電子音楽とともに空中の一組のドレスが空気の流れのままに揺れる」(引用は「dance today 11」のWebページから)という代物で、観客−−つまり自分のことだが−−は、運動だけを見ようとする時でも、いかに音楽や照明の多大な影響下におかれてしまうものか、という反省の場にはなった。(2004年11月11日記,稲倉達)