文化集団ユヤチカニとサマースクール

■ユヤチカニというグループ
おそらく日本で最も知られている演劇グループ(そして、もしかしたら、知られている唯一のグループ)は「ユヤチカニ」(Yuyachkani)だろう。ユヤチカニは1971年に結成され、来日こそしていないが、中南米アメリカ・欧州での海外公演経験の多い、ペルーを代表するベテラン集団である。一昨年は、活動40周年を数々のイベントで祝った。

40周年記念展覧会の展示から

彼らを日本語で紹介する文章はWebでもみつかるので、ここで長く書くことはしない。ただ、彼らが自分たちを劇団とは呼ばず、文化集団(grupo cultural)と称している点には触れておきたい。彼らの活動の中心に演劇があることは間違いないが、「芝居をやるために活動しているのではない」というスタンスなのだ。

「ペルーという国は多様な文化の共存する国です。首都リマには、アマゾン文化、アンデス文化、沿岸の文化、黒人文化、中華系文化、日系文化など、さまざまな文化をバックグラウンドに持つ人々が寄り集まって暮らしています。そこで生じる問題をどうするか。文化の混合をどう生きるか。それを考えていくのが私たちの活動なのです」。メンバーの一人、アウグスト・カサフランカ(Augusto Casafranca)はそう私たちに説明してくれた。彼らにとって演劇はあくまで手段であり、手段が演劇でなければいけないとは考えていない。

おそらく外から見れば、演劇作品を通して観客に、多文化共存の問題を提起するという劇団的なアプローチが、彼らのもっとも目立つ活動だろう。しかし、その上演は、メンバーがペルーのさまざまな文化芸能を学び、それらを舞台上で共存させるという側面をもっており、そうすることで、彼らの演劇活動自体を、演劇に限定されない、ペルーの文化現象そのもののなかに位置づけようとしているのではないかと思われる。

わかりやすく言えば、彼らは舞台の上で、よく踊り、よく歌い、よく楽器を演奏する。そして、そうしたパフォーマンスは必ずしも「演劇」に奉仕するものとして演じられるのではなく、演劇の上演という枠組みを利用して、いろいろな芸能的要素を舞台上で出会わせるという意図が感じられる。

彼らは20年以上前からリマの中心部に「ユヤチカニの家」(Casa de Yuyachkani)と呼ぶ拠点を構えており、そこが主な上演会場となる。およそ800平米くらいの敷地(Google Mapで概測)で、そのなかに仮設の客席150人分ほど設置できる小劇場や、小道具や仮面、大道具を制作するスタジオやオフィス、カフェなどがある。

ユヤチカニの家(facebookから)
アウグストに聞いたところでは、ユヤチカニ助成金のたぐいは受け取っていないという。「かつて、出版をするときに少し貰ったくらい」。たしかに彼らの公演に数度足を運んだが、一度も文化省などの行政機関のロゴ、あるいは企業のロゴも目にしたことがない。彼らの活動はしばしば反体制的であるから、表現の自由を妨げうるものから距離を取る必要があるという。

ただし、拠点を維持する上での税金については、地域の文化活動に貢献することで支払いに換える方法をとっているという。地域レベル(distrito)の行政とは一定の協力関係をもっているようだ。文化活動を振興するための税制上の枠組みがあるのかも知れない。

そんな彼らの収入源となっているのが、いろいろなところへ呼ばれていって行うワークショップだという。彼らの拠点で毎年夏に行っている子ども向けのワークショップも、そうした活動の一つとして位置づけることもできるだろう。20年以上前からスラムなどへ出かけていき開催する子ども向けのワークショップを行っており、拠点での定期的なワークショップは12年間続けているそうだ。資金調達という側面はあるにしても、こうした活動もまた、前述のような問題意識によって動機付けられている。

「20周年公演のポスター」。日替わりでレパートリーを上演していることがわかる。40周年記念展覧会会場で撮影

■ペルーのサマースクール事情
ユヤチカニがスラムで行ってきたワークショップは、おそらく前の記事で触れたプクジャイ(Puckllay)やアレナ・イ・エステラス(Arena y Esteras)の先駆けとなったものだろう。

一方、拠点でのワークショップの利用者は、地域在住の中流以上の家庭が事実上対象となっていると言えるだろう。費用が1回3時間半×16回で1万9千円程度かかるからだ。この記事では、こちらのワークショップを紹介するつもりだが、その前に、利用者側から見た、このようなワークショップの背景について説明しておこう。

ペルーの幼稚園や学校は12月中旬から3月初旬(あるいは2月末)まで長い夏休みになる。この長い休みをもてあます子どものため、各学校・幼稚園、文化会館、美術館、スポーツクラブなどが、taller de verano(夏のワークショップ=「サマースクール」)を開催する。年末くらいになると、町のあちこちで「サマースクール」の広告が掲げられる。「サマースクール」が盛んなのは、治安上、日本の夏休みのようには、小学生が子どもだけで「いってきまーす」と外へ遊びに出たりはできない、という事情もあるだろう。外で遊ぶ代わりに、ガードマンに門を守られた囲われた場所で過ごすのだ。

1月と2月の2カ月間、月曜から金曜日まで毎日通うものもあれば、週3回(月・水・金)、あるいは週2回(火・木)というものもある。何か一つのことを習うコースもあれば、複数の授業が組み合わされて、朝から昼食前まで、通常の学校に通っているように過ごすスクールもある。前者は夏休みだけ通う「習い事タイプ」で、典型的な例は屋外プールでの水泳教室だ。後者はいわば学校の代わりになるようなものである。もし、日頃通っている学校や幼稚園で提供されるサマースクールに週5日通うなら、授業内容はともかく、子どもたちの生活時間は夏休み前とあまり変わらないことになる。

ユヤチカニが拠点で開くワークショップはそうした数あるサマースクールの一つである。週2回、午前中3時間半滞在して、複数のプログラムを体験するようになっているので、「習い事」ではなく学校タイプだ。


■ユヤチカニのサマースクールの目的とは
ユヤチカニのサマースクールの正式名称は「児童・少年少女のための創造性ワークショップ」("Taller de Creatividad Infantil y Juvenil")といい、3歳から12歳が対象の午前の部と13歳から16歳を対象とする午後の部に分かれている。項目としてあげられているのは、以下の通り。
・仮面、陶芸・造形芸術のワークショップ
・歌・音楽のワークショップ
・演劇的遊技のワークショップ
・サンコス(zancos/竹馬のことだが、足に装着するタイプで、ペルーの祭りではポピュラー)のワークショップ

どれも演劇と関連のある項目が並んでいるが、サマースクール全体としては、俳優を養成したり、演劇のまねごとをすることを目指すものではない。中高生を対象とする午後の部は、より演劇志向の内容にはなっているが、午前の部は子どもたちの年齢が低いこともあり、演劇的要素は希薄だ。

掲げられている目標は演劇ではなく、子どもたちの「市民としての連帯する姿勢と寛容さ」を育むことだ。首都リマには地方からの移住者が多く、前述のようなペルーの多様な文化が同居している状態にある。そうしたなかで、連帯と寛容の精神をもった市民を育てることこそが必要である――これがサマースクールに取り組む彼らの問題意識なのだ。

「学校でやっているようなサマースクールは、たとえば音楽の時間なら、この楽器を練習しましょうと決まっていて、みんなでそれを練習するでしょう。ここでは違います。それぞれが自分の得意なことをやって協力し合えればよいのです。ギターが得意な子、歌がうまい子、踊るのが好きな子・・・じゃあ、みんなで何が出来るだろう、と考えるのです」

このサマースクールでは、生徒に一律に何かを求めることはしない。けれど、場を共有するために学ばなければいけないことがある。アウグストはこんな例を挙げる。ある生徒はやってくるなり「ぼくは眠いから寝る」といった。さらに「腹が減ったから何か食べる」と言って、持参したスナックを取り出した。アウグストはその子に言った。「寝たいなら隅のほうで寝ていなさい。でも、食べるのは駄目です。君が食べ始めたら、きっとほかの子も何か食べたくなってしまうから。いまは食べる時間ではない」

ペルーに暮らし始めた日本人のおそらく誰もが戸惑うのが、ペルー人の周囲にまったく配慮しない態度ではないだろうか。車を運転していて前が滞っていれば、それがどんな原因で生じているのか、前方のドライバーたちに責任があるのか、彼らにとっても不可避なものなのかといったことは一切気にせずにクラクションを鳴らしまくる。あとから駐車する車や通り抜ける車に対する配慮のない駐車の仕方。誕生日になれば、近所の迷惑かえりみず深夜まで大音響で騒ぐ。スーパーマーケットで棚から取った商品を飲み食いしながら買い物をする(未精算で)。対策をこうじることなく、周囲に粉塵をまき散らす建設工事の現場・・・全般的にペルー人の市民意識が未熟なのは明らかだ。

日本では小学生くらいの間に当たり前のように身に付いていくことが、おそらくペルーでは学ぶ機会に不足しているのだ。だから、ユヤチカニのサマースクールは文化の混合以前にその基盤作りという点で、まさにメトロポリタン・リマでやる意義のある活動だと思う。

サマースクール最終日の発表シーン。後述の『忘却の番人』に基づく上演が行われた(5/6歳クラス)

■サマースクールの実際
ユヤチカニには10人のメンバーがいるが、サマースクールの運営に関わっているのは4人のみだ。この4人はいわば監督・監修役として働き、実際に生徒を指導する先生役を務めるのは、ユヤチカニを慕って集まってくる学生や演劇に関心のある若者たちだ。たとえば、国立演劇学校(Escuela Nacional Superior de Arte Dramatico)の学生などだという。

「子どもと遊ぶこと」と演劇。「子どもと通じ合い、彼らをその気にさせるコミュニケーションを学ぶこと」と俳優の仕事は深く関係しているとアウグストは主張する。そうした考え方に同調する若者たちからすれば、ユヤチカニのサマースクールは、ベテランの実地指導の受けられる格好の研修の場となるのだろう。

ユヤチカニは毎年、その年のサマースクールのテーマを設定する。そのテーマを基にして、実際に子どもたちと何をするか、先生たちはカリキュラムを考えていく。今年はスペインの児童文学作家ジスベルト(Joan Manuel Gisbert)の『忘却の番人』(El guardian del olvido)という作品を選び、「記憶」というテーマに取り組んだ。別の年には、『星の王子さま』が選ばれたこともあるし、文学作品ではなく、地域へのオマージュをテーマにして、環境汚染について調べたりしたこともあるという。

子どもたちは毎年およそ80人くらい集まるという。年齢層で区切られて、16〜20人程度のグループに分けられる。各グループには2人の先生がつく。教室は拠点の各スペースが開放されて利用される。

私には今年で6歳になる息子がいて、毎年行き先を変えて、これまでに3カ所の違うサマースクールへ子どもを通わせてきたが、今年は、ユヤチカニを選んでみた。彼は5/6歳クラスに配属された。彼のクラスの教室となったのはカフェだった。

彼がサマースクールでやってきたことは、彼の証言などから想像するに次の3つに分類できそうだ。
・造形工作
・体を使った遊び
・サンコス

このうち、テーマの「記憶」と関連性があるのは「造形工作」のみだろう。いろいろな作品を作ってきたが、その中で関連性がわかりやすいのは”家族の木”を中に入れたレタブロだ。レタブロはペルーの民芸品として知られる箱型祭壇。通常は祭壇のなかには宗教的なシーンが人形によって再現されていたりするのだが、その代わりに、生徒の兄弟・両親・祖父母の顔写真を葉として茂らせた木が入れられていた。大きな子たちのクラスでは、自分の家系について調べてくる課題が出されたらしい。

息子のその他の工作は、バインダーやカレンダー、ハーブの種を植えた小さな植木鉢などで、植木鉢については、担任の先生が「匂いは記憶と深い関係がある」と説明する。たしかにそうではあろうが、もはやコジツケの域に入っている気がしてならない。しかし、抽象的なテーマをどうやって子どもたちとの”遊び”へ落とし込むかを考える課題は、演劇人の卵にとって優れた演習になることだろう。

どの工作も、ほとんどが保護者から集められた不要品を材料に制作されている。保護者は最初の日のクラスのあと、「要らない物を何でもいいからたくさん持ってきて」と求められる。そうして集まってきた品々を見て、それで何ができるか、あるいは子どもの希望にどう応えるかを考えるのも先生たちの課題であっただろう。

「飛行機が作りたい」と言った息子が最後の日に持ち帰ったのは、ペットボトルを胴体に、スプーンをプロペラにして、段ボールの羽根を広げた飛行機だった。表面を細かくちぎった紙を貼って覆い、絵の具で美しく水色に塗ったその作品は、先生が仕上げに相当貢献したことは明らかだったが、幼稚園や以前に通ってきたサマースクールから息子が持ち帰ってきた作品と比べて、工作の発想や美術的センスにおいて格段に優れていた。彼の通っていた教室には教育者(だけ)ではなく芸術家の風も吹いていたようだ。

なお、最終日には『忘却の番人』に基づく上演があったが、セリフは全部先生が読み上げており、子どもたちは先生の指示で移動するか、その場で自由に振る舞ったり、これまでやってきた遊びをシーンの一部として披露するだけだった。上演のための練習は、リハーサルが当日一回行われたのみらしい。少なくとも5/6歳クラスの場合、演劇作品の上演をサマースクールの成果としているわけではないことは明らかだ。

とはいえ、実際のところ、2カ月間で息子がなにを学んだのかはまったくわからない。5〜6歳という年齢で1シーズン通っただけでは、効果が見えないのは当然かも知れない。だが、ユヤチカニのサマースクールにはリピーターが少なからずいるようだ。「彼らはここ(ユヤチカニの家)で育っていくんだ。今年は『記憶』がテーマだから、ああ、自分は昔、ここでこんなことをしたんだった――そんなふうに、彼らは記憶を掘り起こし、自分を振り返ることができる」とフリアン・バルガス(Julian Vargas)は誇らしげに語った。そんなふうにここで育った若者たちが次々と巣立っていくことが、リマを、ひいてはペルーを少しだけ変えることができる・・・ユヤチカニのメンバーはそんな夢を持ち続けているようだった。(了)

5/6歳クラスがハーブを植えた鉢植え。最終日の展示を撮影

家族の木のレタブロ。最終日の展示を撮影