演劇

教育問題を扱うコメディと性の問題を扱うダンス――《Escuela vieja: todo lo que quiso olvidar sobre la educacion peruana》と《PerVIÉRTEME》

■リマに舞台芸術シーズン到来 リマの春(9月−11月)は舞台芸術のシーズン。関連イベントが立て続けに開催される。まず、以前このブログで触れた「ペルーにおける舞台芸術の制作・上演援助」(Ayudas a la Producción y Exhibición de Artes Escénicas en Perú…

若者たちの捉える「暴力の時代」――アルゼンチン・チリ・ペルーでドキュメンタリー演劇の連鎖

アルゼンチン、チリ、ペルー。この3つの南米国の演劇シーンで、あるドキュメンタリー演劇の連鎖反応が起きている。 3国は――この3国だけではないが――国民の人権が著しく侵害された独裁的な政権の時代を、十数年から二十数年ほど前に経験している点で共通し…

過渡期を生きる家族の再会−− Mariana de Althaus "El Sistema Solar"

Mariana de Althaus(1974-)は2003年から現在までに10作品を発表し、それらを自ら演出し、精力的に活動している注目の中堅劇作家だ。昨年2012年は、2つの新作を上演。そのうちのひとつ、10月から12月にかけて初演された最新作《El Sistema Solar》はEl Com…

「暴力の時代」と孤立する核家族――Rafael Dumett "Números Reales"

■孤立したカルデナス家で起きた「父親殺し」 リマに暮らす中産階級で、高校生くらいの息子が二人いる四人家族の話。家族のことを全く顧みず、母親を愚弄し、暴力をふるう父親を長男は殺してしまう――これが物語の骨子なのだが、舞台に終始、寒々とした空気が…

文化集団ユヤチカニとサマースクール

■ユヤチカニというグループ おそらく日本で最も知られている演劇グループ(そして、もしかしたら、知られている唯一のグループ)は「ユヤチカニ」(Yuyachkani)だろう。ユヤチカニは1971年に結成され、来日こそしていないが、中南米・アメリカ・欧州での海外…

「芸術と共同体 国際舞台芸術祭2012」とプクジャイの活動

■スラムの若者たちのパフォーマンス 首都中心部にあるリマ美術館(Museo de Arte de Lima, 通称、MALI)は、ペルー独立50周年の栄華を顕示する博覧会の会場として19世紀後半に建設された、それ自体が美術品のような建物である。 その美術館のホールで「芸術…

ベテラン演出家と若手俳優で精力的に活動

首都リマ市では児童演劇が盛んである。主な区(distrito)の各文化センターや博物館、美術館で児童演劇が上演されている。東京では夏休みなど特定の時期のみしか目立たないが、リマでは年間を通して、毎週末のように行われている。2009年からリマで活動して…

ままごと『スイングバイ』――悪い冗談('10年3月18日)

「なんじゃこりゃ?」である。 悪い冗談としか思えない。 けれど、呆然としつつも、これに注目すべきなのだろう。今の日本にこんなものが出てきてしまったということ、そして、それを支持する層の存在を認めないわけにはいかないだろうからだ。戯曲の基本的…

マレビトの会『島式振動器官』――イメージのパッチワークの中に埋め込まれたある心情('04年6月3日)

2004年6月2日(水) 19:30 こまばアゴラ劇場 作・演出:松田正隆 出演:犬男=枡谷雄一郎、サチ(その妻)=山本麻貴、砂男=田中遊、ミカ(その妹)=武田暁、医者=F・ジャパン 上演期間: 2004年6月2日〜6月6日『島式振動器官』の舞台を見て、つげ義春の「…

「山羊 −シルビアってだれ?−」――オールビー『山羊』の含意すること('04年5月27日)

2004年5月16日(日) 14:00 こまばアゴラ劇場 青年団国際演劇交流プロジェクト『山羊 −シルビアってだれ?−』 作:エドワード・オールビー 演出:バリー・ホール 翻訳:松田弘子 出演:マーティン=志賀廣太郎、スティービー=大崎由利子、ロス=大塚洋、ビリ…

三浦基演出「三人姉妹」の衝撃('03年11月13日)

自分の通り道に演劇スペースのこけら落としが行われていたので、見に行ってみた。そしたら凄い拾いものをしてしまった! アトリエ春風舎で上演されている三浦基演出のチェーホフ「三人姉妹」(地点第5回公演)。ここのところのダンス観賞で蓄積された不満が…

竹内敏晴「からだ」と「ことば」のレッスン体験記1(Apr. 3 '00)

今年(2000年)1月の「最近の私」の欄で触れたように、竹内敏晴のワークショップには、勅使川原三郎のワークショップと相互補完し合うようなところがあると直感した。それよりもまず、自分にとってとても有効な体験になるだろうと予感したからだが、とにか…

南米の演劇とコンテキスト共有の問題

一度も舞台を見たことがないが、南米の演劇が面白そうだ。 2月27日、グローバルCOEプログラム「演劇・映像の国際的教育研究拠点」の関連イベント「南米演劇の研究会」(会場は早稲田大学内、参考:JanJanニュース「南米の民衆・教育演劇を考える」)に参加し…

東京芸術見本市での対談(平田オリザvs 岡田利規)

東京芸術見本市(TPAM)セミナー「平田オリザvs 岡田利規 連続対談 vol.1 私たちは何を成し遂げ、どこに向かっているのか― 真の公共劇場とは何か?」(3月1日)を聴講。今日のこの対談だけはパスを購入しなくても\1,000で聞けるのだ。2時間の対談の前半は…

五反田団『生きてるものか』――無効にされたメメント・モリ

暮れから続いた仕事の波が去ったので、今更ではあるが去年見た舞台で書きそびれていたことを少し書こうと思う。とりあえず、五反田団のことから。子を宿した妻と、彼女のお腹に耳を当てる夫がさりげない会話を交わして溶暗。これが09年10月に東京芸術劇場小…

リミニ・プロトコル 『Cargo Tokyo-Yokohama』のヌルさをどう考えるか

『Cargo Tokyo-Yokohama』の楽日(21日)に参加してきた。 天候にとても恵まれ、湾岸線を走りながら眺めるクレーンの立ち並ぶ港湾の風景や、ベイブリッジから眺めた夕日を大いに楽しんだ。ラジオパーソナリティの語りのように耳に届く、二人のトラックドライバ…

岡崎藝術座『ヘアカットさん』〜”カラオケで自己表現”も演劇だ

冒頭の坊薗初菜の熱唱に引き込まれた。 彼女は目黒という役でまず、1人で登場。ここは新宿駅南口の紀伊國屋書店の売り場であると告げて、客席に手拍子を求めて、目黒の心境を内容とする歌を歌う。せっぱ詰まったような迫力ある歌いっぷりに心動かされた。歌…

戦術の素朴さとパフォーマンスの力――ヤン・ファーブル『寛容のオルギア』

先月末、さいたま芸術劇場大ホールで見たヤン・ファーブル(Troubleyn/Jan Fabre)『寛容のオルギア』について。 消費社会を批判する劇場パフォーマンス=消費対象、スペクタクルを批判するスペクタルという矛盾を放置しているように見えた。戦術が素朴すぎ…

女子高生が女子高生役を演じるということ

先月末に観た平田オリザ作・飴屋法水演出『転校生』(東京芸術劇場中劇場)は、前回のエントリーで触れた問題と非常に関連性の高い舞台だ。評判も非常に高いようだ。でも、わたしは不満だ。女子高生たちの日常的な会話劇を、アマチュアの実際の女子高生(あ…

『カール・マルクス:資本論、第一巻』のパフォーマーたちの輝き

今月初め、リミニ・プロトコルというグループの創る舞台を初めて観た。にしすがも創造舎で『カール・マルクス:資本論、第一巻』(東京版)を観て最も印象的だったのは、舞台に立つパフォーマーたちの輝きに満ちた顔だ。彼らは今、この舞台に立っていることを…

鹿殺し『電車は血で走る』が気になる

劇団鹿殺しの公演『電車は血で走る』を見た。とても気になる公演だった。 本公演を見るのは初めて(今夏、オルタナティブVol.3と銘打った公演は観ている)。 とりあえず、以下思いつくままのメモ。 * 歌舞伎と大衆演劇とロックとつかこうへいと宝塚歌劇が混…

ケータイを切っている時間

劇場で客席に座ると、「携帯電話をお切り下さい」の場内アナウンスがある。 言われなくても必ず切るが、このアナウンスがあると、これから1時間なり2時間なり、切っておくことが社会的正しいとされている時間を過ごすのだという思いが強まり、妙に嬉しい。 …

小指値『Mrs Mr Japanese』

もう一月ほど前のことになってしまったが、小指値という劇団の公演を初めて観た。王子小劇場での『Mrs Mr Japanese』だ。自分にとって、いい意味で気になる劇団となった。印象を一言で言うと、別に全てのシーンで笑わせようとしているわけではないんだが、な…

チェルフィッチュ《エンジョイ》−−予防回収的態度のこと

新国立劇場小劇場で公演中のチェルフィッチュ《エンジョイ》を見た。とても面白かったので久々にメモする。(メモだから、以下、まだ見ていない人への配慮はしないのでご承知おきのほどを。)チェルフィッチュの舞台で以前から気になっていたことだが、「だ…

「虚の第一世代」の2つの目線(川村毅《クリオネ》)

軽い芝居、しょぼい芝居 ルー大柴が手塚とおるに言う。どっか軽いんだよ、あんた。2月にザ・スズナリで上演されたT factory《クリオネ》(*)の第二幕中盤で、のらりくらりとした態度を取り続ける首塔聖人(手塚)に映画監督・国仲誠一郎(ルー)が言うセリ…

村人のダンスと北川辺町民のダンス(松本修《城》)

松本版《城》の提出する構図 《トーキョー/不在/ハムレット》と同じ頃、新国立劇場小劇場で上演された《城》(原作:カフカ、構成・演出:松本修)(*)は、途中20分の休憩を挟んで3時間45分という長丁場の芝居だった。主人公である測量技士Kは、陽気で…

メディアミックス/若者/ニブロール(《トーキョー/不在/ハムレット》)

メディアミックス的興行 今年1月9〜23日に三軒茶屋シアタートラムで上演された遊園地再生事業団《トーキョー/不在/ハムレット》は、前年の5月のリーディングに始まり、原作の小説発表(『文學界』8月号収録「秋人の不在」)、関連映像作品の公開(7月、《…

三浦演出の今日性(地点「雌鶏の中のナイフ」)

1月6日、青年団リンク・地点『雌鶏の中のナイフ』(1月1日〜23日、アトリエ春風舎)を見る。デイヴィッド・ハロワーの戯曲は、自分の記憶を文字によって外在化させることで起こる認識の変化を、女の自立のプロセスに重ねるという、なかなか興味深いものの…

”三浦語”のための舞台(地点『じゃぐちをひねればみずはでる』)

三浦基の分節やイントネーション、テンポ、発音を操作してセリフに強いディストーションを掛けるやり方(一部で”三浦語”と呼ばれているらしい)に出会ったのは、03年11月にアトリエ春風舎で上演された 『三人姉妹』 (地点第5回公演)を見た時だった。それは…

「東京の、バスでしか行けない住宅街」(桃唄309)

前の記事の続き。 1968年生まれ、山形県の果樹園農家と自衛隊駐屯地の町出身の阿部和重が、自分の故郷を舞台に日本の戦後の退廃を描き、1964年生まれ、北海道十勝平野の小さな町出身の鐘下辰男が、ニュータウンの閉塞状況を土地の伝説と結びつけて描いた(鐘…