”三浦語”のための舞台(地点『じゃぐちをひねればみずはでる』)

三浦基の分節やイントネーション、テンポ、発音を操作してセリフに強いディストーションを掛けるやり方(一部で”三浦語”と呼ばれているらしい)に出会ったのは、03年11月にアトリエ春風舎で上演された 『三人姉妹』 (地点第5回公演)を見た時だった。それは観客にセリフのリテラルな意味から距離をとらせ、発語する行為に注目させた。それ自体は新しいことではないが、役者の身体の扱いやスピード感と相まって、突風が観客の身体を吹き抜けていくような、そんな新鮮なチェーホフ体験させてくれた。演出は単に奇抜さを狙ったようなものではなく、台詞の意味は犠牲にしつつも、『三人姉妹』の解釈の上に構築されていた感じた。

次は04年1月にこまばアゴラ劇場で上演された、ノルウェーの作家ヨン・フォッセの作品 『眠れ よい子よ』『ある夏の一日』 (第6回公演Bプロ)。ここでは”三浦語”はぐっと控えめになった。俳優3人が客席の前にスタンダップコメディアンのように並んで立って行う短編『眠れ よい子よ』はともかく、『ある夏の一日』の方は、「シャツ」を「シヤツ」と発音するとか、そんな細かな使い方が多かった。こういう小技は邪魔である。ところどころの”三浦語”が気になって、他へ振り向けるべき注意が奪われてしまう。”三浦語”の必然性が見いだせないならこだわるべきではなかろう。彼はこれをトレードマークにしたいのかと訝った。一緒に公演を見た人は「孤独な人の退屈な気分が表現されている」と好意的に受け止めていたけれど。

そして今回の公演、詩人・飯田茂実のさまざまなテキストを素材に三浦が自由に構成した 『じゃぐちをひねればみずはでる』 (第7回公演。こまばアゴラ劇場、9月18日のマチネを見た)である。なぜ今回、こうした台本が選択されたのか。私は、三浦が”三浦語”こそ自分のアイデンティティと考えて、それを最大限に生かす素材を選ぼうとしたように思えてならない。そして、その目論見はかなり成功していたと思う−−その点で楽しめる舞台だった。でも、これではほとんど”三浦語”のための”三浦語”ではないか。注目される若き演出家にしては、自ら取り組む仕事の選び方に野望がなさ過ぎると思った。

”三浦語”はそれ単独では単なる演出の一技術でしかない。役者の身体をどう扱うか、という問題と一緒に取り組んでこそ、”三浦語”は探求するに足る演出法を形成する、その一要素となりうるだろう。『三人姉妹』では、三人姉妹が終盤までほとんど動かないという選択と人形のようなぎこちない動きが演出上の必然を感じさせた。しかし、今度の作品では、役者の身体の扱いを演出家が持て余しているかのように見えた。見ていて、「なんでこんな動きしか思いつかないのか?」というもどかしさが募る。物を散乱させる、かき集める。バケツを両手に持って椅子の上に立つ・・・どうにもこうにも凡庸でしかない。

多くのシーンで中心を担うべき存在だった思える安部聡子がいつもの安部聡子のままなのは、彼女の俳優としての資質の問題もあるだろうが、演出家の責任も大きいだろう。彼女の担う役は、分別くささをこれっぽちも臭わせてはいけないのだと思う。一方、内田淳子はテキストを大量にまき散らす(カラオケまで歌う)説明的役回りを担うことが多い。それはそれですっきりした整理の仕方だが、三人しかいない舞台で一人がこれでは物足りない。彼女には一個の謎になって欲しかった。一番不満だったのは飯田茂実の使い方で、ほとんど舞台装置と化しているシーンも少なくなかったが、こういうものを見てしまうと、『三人姉妹』の演出も、演出上の必然性ではなく、単に役者を扱い切れないが故の選択だったのでは?という疑惑も湧いてくる。

しかし、半眼状態になって主に耳で舞台を見ることにしたら、私にはかなり面白かった。中学生時代、日曜日の夜はいつもベッドでNHK-FMで「現代の音楽」を聞いていたのだけれど、今度の公演を聴いて、20数年も前のことなのに、ジョージ・クラム『死の歌、ドローンと繰り返し』 "Songs, Drones, and Refrains of Death"(1968)を耳にした時の興奮を突然思い出した。テキストとなったロルカの詩は全然分からなかったけれど、それが死についての歌であるという情報だけで十分だった。子ども部屋の暗闇の中でヘッドホンから聞こえてくるバリトンのボイスパフォーマンスや楔を打ち込むようなパーカッションの響きに、存在の不安をひりひりと感じていた。蛇口を捻れば、水は出る−−今では当たり前にし思えないそんなことが、まだ謎めいて感じられた年頃の、世界を見る眼差し(給水システムの仕組みがわからなかったということではなく、事物がそうなっていることの不思議さへの感受性の問題)。

世界を前にした子どもの問い−−「だうしてだうして、なんでかな」というリフレインは、執拗にリフレインされることでリテラルな意味を一回ほとんど失う。けれども、無意味なフレーズとして観客の身体に染み込んでのち、後半になって内田淳子が編み物をしながらつぶやくのを聴く時、観客は自分がかつてその問いを発した子どもになったように感じる。この作品で”三浦語”が成果を上げる瞬間だ。

先日、いつもWeb上のいろいろ有益な情報を教えてくれる手塚さんから、この公演について舞踊評論家たちの意見が大きく分かれていることを教わった。「読んだ方がいいですよ」と言われて閲覧してみると、絶賛しているのは武藤大祐氏、やや誉めなのが桜井圭介氏、酷評しているのは門行人氏。この際、識者の多様な意見を比較して参考にさせてもらいたいところだが、これがなかなか難しい。「完全に人真似」と言われても、それは表面的な類似ではないか、という思いを抑えることが出来ないし、やはり山ほど評論家がいようと、自分自身で判断して見ていくしかないと思った。三浦が「三浦語の人」を越えることに期待して、今後もしばらく見ていきたい。