ケータイを切っている時間

劇場で客席に座ると、「携帯電話をお切り下さい」の場内アナウンスがある。
言われなくても必ず切るが、このアナウンスがあると、これから1時間なり2時間なり、切っておくことが社会的正しいとされている時間を過ごすのだという思いが強まり、妙に嬉しい。
別に、仕事の電話が追いかけてきてたまらんとか、そんな状態では全然ないのだけれど、公私ともに自分へのアクセスがケータイに集約されてきているから、ケータイを切っておくということに象徴的な意味が芽生えている。
時に、この状態を得るためにこそ劇場に行くのではないかと思う時すらある。

日常のしがらみを一時的にすべて遮断した時間をもつことは、観劇に期待する大きなポイントだ。
現実逃避の場合もある。そうでない場合もある。それは上演によって変わってくる。リフレッシュのためのひたすら楽しい時を過ごすか、現実への新鮮な視点やアプローチの手がかりを手に入れるか、どちらも価値がある。

願い下げたいのは、マスメディアで流通する言説を適当に織り込んだような上演。それで現在に応答しているかのような振りを装っている。誰に対する身振りなのか知らないが、手垢の付いた現状認識を聞かされるなら、家でテレビでも見ていた方がマシだ。おそらく、そんな撒き餌に喰いついて、劇評を書いたりするお調子者がいることが、諸悪の根源ではないか。

ケータイを切る時の嬉しい気分について書くつもりだったのに、話題がいつのまにか怒りに移っている・・・やっぱり疲れているのかも知れない。