東京芸術見本市での対談(平田オリザvs 岡田利規)

東京芸術見本市(TPAM)セミナー「平田オリザvs 岡田利規 連続対談 vol.1 私たちは何を成し遂げ、どこに向かっているのか― 真の公共劇場とは何か?」(3月1日)を聴講。今日のこの対談だけはパスを購入しなくても\1,000で聞けるのだ。

2時間の対談の前半は、それぞれの活動についての紹介。モデレータの「海外のお客様も多いので」という采配だが、後半は、施行が目論まれているらしい劇場法に関するやりとりになった。構想されている劇場法そのものの解説がなかったので、こちらは事情を知る国内の業界人を想定した対談のように感じられた。海外のお客様に向けて/国内の業界人に向けて。この分裂した構成は、誰にとっても不満足感なものであっただろう。こうなってしまったのは、TPAMの運営主体のアタマの中がこんな感じになっているからか、と勝手に想像する。

肝心の「真の公共劇場とは何か?」という主題は大して議論されなかったように思う(多くの対談やシンポジウムはそんなものといえば、そんなものだが)。劇場法構想は不勉強で知らなかったが、地域の公共劇場を創作の拠点にしようということらしい(そういえば、平田氏は以前からそう言っていたような)。ついては、劇団や芸術家に渡していた助成金も劇場経由にすることで予算を削減しつつ、地域格差の是正も図ろうといったところか。国の予算をどう使うかという観点で考える平田氏と自分のやりたいこと(同じ俳優との年月を掛けた創作活動)ができなくなるという観点から心配する岡田氏の目線が違いすぎて、あまり有益な議論にならなかったように思う。

たしかに、”制作の機会が公共劇場に牛耳られてしまう”みたいな感覚(これは両氏の言葉ではない。念のため)で劇場法制定をイメージすると怖いものがある。ではどうすればいいか。欧米のシステムを勉強している専門家の方々にいろいろ卓見があるだろう。けれどブログだから、自分も思いつきでちょっと書いてみよう。

一つには、平田氏も示唆していたように、公共劇場の意志決定者がこれまでのような役人アタマの人間でなくなるように働きかけること。もう一つは、公共劇場の予算の使い方に地域の市民や演劇関係者の声を反映させる仕組みを作ること。また、企画面で近隣の民間の上演施設(劇場という概念に囚われるべきではない)との連携を義務づけることなどだろうか。演劇実践の場が公共劇場に集約されて、文化と社会の関係がやせ細ってしまうような方向は避けたい。市民の理解を得にくい実験性の強い創作に対しては地域の大学が場を確保するようにしたらいいかもしれない。

芸術家には、心配してばかりいないで、公共劇場の庇を借りながら、ちゃっかり行政批判を展開するくらいのしたたかさを期待したい。運営プロセスの透明性を確保し、市民を味方につけたら、どんな公演でも行政の都合だけでは排除できなくなるようにしておくことも必要だろう。

対談でのやり取りから推察するに、岡田氏は公共劇場に嫌気がさしているらしい(世田谷パブリックシアターでやった安部公房作『友達』の公演を思い出せば、分かる気がするが)。しかし、彼のような力のあるアーティストなら、公共劇場と創作主体との関係において、劇場法が決まる前にその方向性に影響を及ぼせるような、なにか良い先行事例を作れるのではないか。そういう方向で頑張って欲しい。