ベテラン演出家と若手俳優で精力的に活動

首都リマ市では児童演劇が盛んである。主な区(distrito)の各文化センターや博物館、美術館で児童演劇が上演されている。東京では夏休みなど特定の時期のみしか目立たないが、リマでは年間を通して、毎週末のように行われている。

2009年からリマで活動している「パロサント」(PaloSanto)は、若い俳優たちの歴史の浅い劇団ではあるが、リマでいくつか見てきた児童演劇のなかでは演技力や隙のない舞台構成などで群を抜いている。

それもそのはずで、児童演劇のベテランであるイスマエル・コントレラス(Ismael Contreras、劇作家・演出家・俳優、1948年生まれ)が、演劇学校( la Escuela de Arte Dramático )での彼の若い教え子たちを率いて結成したグループなのだ。イスマエルは、1971年には児童演劇グループ「アベハ」(Grupo Teatral Abeja)を立ち上げており、アベハでの活動を通して得られた経験や作品を若手に継承することが、「パロサント」のコンセプトである。

たとえば、私が最初にパロサントを見た『高慢なキツネ』(La Zorra Vanidosa)という舞台は、1974年にはアベハのレパートリーとなっていたことがわかっている。この作品は、ペルーの重要な作家、ホセ・マリア・アルゲダス(José María Arguedas)が編纂したペルーの民話集に収録されている作品がベースになっていて、アルゲダスの生誕100年にちなんで2011年に再演された。話の筋はこうだ:働くのが嫌いなキツネは、自分の立派なしっぽを他の動物たちに鑑賞させては、その対価として食べ物を動物たちから取り上げていた。怒った動物たちが神様に化けて、キツネを懲らしめる、といったもの。

普遍的で単純明快なテーマなので、いつになっても時代にそぐわなくなる心配はないが、たとえば登場人物ウサギ(キツネに被害を受ける動物の一匹)の敏捷さを表現するのに、スニーカーを履かせてヒップホップを踊らせたりと、今の子どもにウケるように、古さを感じさせない工夫が凝らされている。

別の作品(『Zacatapum』)では、子どもたちが数々の警備を突破して市長に直接陳情するプロセスを、俳優がライトペンを使ってスクリーン上に動く光の点を投影して、ビデオゲームの「パックマン」(やや古いが)の画面のようにして表現していた。

『高慢なキツネ』を例に劇団の俳優陣を紹介すると、ウサギ役が二枚目の青年でテノール声のフリオ(Julio Cesár Delgado)、キツネの側について漁夫の利を得ようとするヤギは、小太りで人が良さそうで、それでいてどこか油断できない感じのエンリコ(Enrico Méndez)が演じ、そしてギター片手に語り手役を務めたのが、素っ頓狂でぎょろっとした目つきが印象的な、のっぽのエミージョ(Emilio Benavente)。このキャラクターの際立った3人の青年役者をレギュラーに、作品ごとに2、3の俳優が参加する。

彼らはいずれも役柄の個性を際立たせる演技に優れ、物語を明快にする。同時に、ちょっとした仕草で子どもたちを笑わせることの出来る、クラウンとしての技術も備えている。だから、パロサントの舞台は子どもたちの笑いが絶えない。


『一輪の花のために』(Por un flor)の舞台: 土地の境界線に咲いた一輪の花を巡って、双方の土地の住人の間で争いが起こる。武器商人が武器を双方に売ることで争いは戦争に発展するという寓話。武器商人(左側の俳優)は観客の子どもたちにもヘルメットを配る。ターバンを巻いていて、アラブを連想させるところがやや危うい。